過去からの手紙
「愛抱夢は、十歳でやる成人式みたいなの、やった?」
正月休みも終わった成人の日である日曜日、ふとランガが訊いてきた。
「二分の一成人式のことかな」
「そう、それ。暦から聞いたんだ。日本の小学校とかでやるって。愛抱夢も小学生のころ、大人の自分へ手紙を書いたのかなって。暦が書いた手紙読ませてもらったんだけど、十歳のころはまだスケートやってなかったから、大学行ってますかとか働いてますか、みたいなことが書いてあった」
「ああ、確かに書かされたね」
「それ、とっておいてある?」
「いや、流石に捨てたよ」
「そうか。残念」
「気になるのかい?」
「子供の愛抱夢はどんなこと書いたんだろうなって……」
「実は封も開けなかったんだ。もちろん書いたことは覚えているよ。何せ、たった一行くらいだったからね」
「え? 一行だけって、先生に注意されなかった?」
「手紙の中身は先生も読まないことになっていたから何も言われなかったさ。もともと神道家の人間として政治家の道は決まっていたからね。将来自分がどうなっているかなんてわかりきっていて何の面白みも、わくわくもない。当たり前すぎて疑問を挟む余地などなかったから、書くべきことなんてなかったさ」
「スケートのことは書かなかったの?」
その質問に、一瞬だけ間を置いて、深く息を吸った。
「ああ……それだけは書いた。だから〝大人になったあなたは、楽しくスケートしていますか〟とだけ」
そう笑ってみせながら、愛之介は目を伏せた。
ランガへの説明は、嘘ではないが、全てではない。肝心な箇所が抜けているのだ。
ちょうど、留学中だったため成人の式典には出席できない。その後一時帰国したとき手紙を受け取り、そのまま封も切らず破り捨てたのだ。
留学直前にはいろいろあった。もう遊びは終わりだと父親にスケートボードを燃やされ、留学を命じられたこと。唯一の理解者でありスケートの師でもあった幼馴染が、愛之介の味方をせず父親についたこと。
なんてことはない。もともと自分は世界でひとりぼっちだったのだと思い知った瞬間だった。
ならば、初めてできた同い年の対等で特別な友人だったはずのチェリーやジョーだって、いつか裏切る。忠ですら裏切ったのだから。無自覚だったが、その現実に恐怖したのだろう。それなら、傷つけられる前に自分から彼らを切ってしまえばいい。それから、決して自分を裏切らない存在を見つければいいのだ。どこかにいるだろう、あの素晴らしい世界を共有できるスケーター、アダムの半身であるイヴを。
そして、七年の歳月ののち、出会ったのだ。自分だけのイヴ、ランガに。
「愛抱夢……?」
名を呼ばれ我に返る。
「どうかした? 眉間に皺が寄っている」
「すまないね。なんでもないんだ。少々昔のことを思い出してしまってね」
ふーんとランガは愛之介の顔を覗き込んだ。
「俺はさ、二十歳のころの愛抱夢が楽しくスケートしていたかどうかなんてわからないけど。今は楽しいんだろう」
「もちろんだよ。ランガくんがいるからね」
「もう。そういうことじゃなくて……」
ランガは口を尖らせてから、大きく息を吐く。
「わかっているよ。スケートは楽しい。ランガくんと滑るスケートは最高だけど、チェリーやジョーなど他の連中とのスケートもそれなりに楽しんでいるさ」
「それならいいや」
「今度の休みは滑りに行こうか」
ランガは目を輝かせる。
「いいね」
こちらから話さない限りランガは自分の過去について細かく詮索してきたりはしないが、本質的なことはほぼわかっているような気がする。もちろん言語化できるような理解の仕方ではないのだろうが。
——あなたと俺ってどこか似ている。なんとなくだけど……
そんなふうに、ぽつりと彼が漏らしたことがあった。
おそらく、ふたりとも似た孤独を知っているからなのだろう。そのことを心の深いところでランガは理解しているのだ。ふたりとも滑る楽しさを教えてくれた大切な人を、それぞれ違う理由で失っている。もちろん自分とランガの失い方は違う。死別の喪失と裏切りの喪失を単純に同じだと並べることはできない。
死別ならば涙のあと、時間がその傷を癒し乗り越えることができる。綺麗な思い出だけを大切な宝物として胸にしまって。しかし、裏切りで失った自分はどうだろうか。相手が存在する限り憤怒の感情は消えない。許すことはできない。和解したように見えるだろう今ですら、たまに当時のことを思い出すと腸が煮えくり返る。理屈ではわかっている。当時の忠にはその選択肢しかなかったことなど。
同時に愛之介はランガのことを思う。彼はもう二度と大好きだった父親と一緒に滑ることはできないのだ。そんな彼に比べ、自分はその相手といつか楽しくスケートをする未来の可能性はゼロではない——少なくてもランガはそう考えている。
二十歳になった自分への手紙。本当の文面は……
——大人になったあなたは、忠と楽しくスケートしていますか。
おまけ(暦編)
冬休み、明日には東京へ戻るというその日、暦の家に立ち寄った。暦がスケボーのメンテナンスをしてくれるという。
暦のお母さんがにこやかに出迎えてくれた。
「あら、ランガくん。いらっしゃい。元気そうね」
「こんにちは」
続いて暦が、ひょいと顔を見せた。
「よお、ランガ。じゃあ、早速始めっか……」
「わかった」
暦と一緒に彼の工房というか作業場へ向かった。
鋭い眼差しがボードに向けられる。暦の視線は、ウィール、トラック、デッキへと注がれ、わずかな狂いも見逃さない。
そんな暦の真剣な横顔をじっとランガは見つめた。暦はこういったところが本当に凄いといつも感心する。
軽く調整して、暦はウィールを手のひらでくるっと回した。
「終わり! 思ったほど手間はかからなかったな……だけど、そろそろスケボー新調しておいた方がかいかもな」
スケボーを受け取る。
「ありがとう。あっという間だったね。さすが暦だ」
ふと、作業台の上に置かれている封筒に目がいった。そういえば、この部屋に入ったとき、暦はこの封書を手に持っていたままだったなと思い出す。
「それ手紙かな? 何か手紙を読もうとしたときに俺、来ちゃった?」
「ああ、そうだった。ちょうど封を開けようとしたときに、お前が来たんだったな」
暦はそう言って、その封筒を開いて、中の便箋を取り出した。
「そうだったんだ」
「これさ、俺が書いた俺への手紙なんだ」
「はい?」
「えっと、小学校で書かされた大人になった自分への手紙なんだ。二分の一成人式のとき二十歳の自分に手紙を書かせて、それをちょうど二十歳になった成人式あたりに届けてくれるんだ」
「二分の一成人式?」
「二十歳の半分の十歳でやったんだ。俺たちのときは十八歳で成人になったけど、当時は二十歳が成人だったからね。それで今届けてくれたってわけ」
「そうなんだ。それでなんて書いてあったの? スケート楽しいですかとか?」
「いや、残念ながら小学生のときはまだスケートやってなかったからな。 えっと……なんだこりゃ……」
暦は苦笑いしながら自分への手紙を読み上げる。
二十才の喜屋武暦へ
あなたはどんなことをしていますか。大学へ行けましたか。それとも働いていますか。
十才のぼくは、お母さんに勉強しろとよく説教されます。お兄ちゃんなんだから妹のめんどうを見なさいとも言われます。うざいです。
おとなになったあなたはもうそんなこと言われなくなっていますか。うらやましいです。
今のぼくのゆめは、たくさんあります。まだ何になるかは決めていません。楽しいことをたくさん見つけたいです。仕事も楽しい方がいいです。好きなことでかつやくしたいです。お父さんがやっているような仕事は、たいへんそうだしおもしろくなさそうなので、やりたくないです。
そんなぼくのゆめは、かなっていますか。
十才の喜屋武暦より
「へえ。暦、そんなこと書いていたんだ」
「ほんと、子供ってお気楽だよなぁ……」
「で、なんて返事を書くんだ?」
「過去の自分に返事は書けないけど——書くとしたら、〝スケートという超絶楽しいことを見つけて、大人は大変なことも多いけど、毎日楽しくやってるから安心しろ〟かな」
「あとさ、俺という親友がいるとか、ガールフレンドができたとかも……」
「だな!」
了