鏡(吸血鬼シリーズ11)
「ねえ、俺、いつになったら外に出られるの? それに、世界中を旅行するって言っていたじゃないか」
ランガが吸血鬼になって一年ほど経ったくらいのことだった。今日はどの衣装にしようかと、クローゼットを漁る愛抱夢の後ろから暇を持て余したランガが文句を言う。
愛抱夢は趣味なのかランガのために色々な衣装をあつらえ、毎日着せ替え人形のように着飾らせたりして遊んでいる。とはいえ、正直ジーンズとコットンシャツやTシャツくらいのほうがランガとしては落ち着くのだが。
「そうだね。君はまだ精気を自分で取り入れるどころか感じることができないから旅行はまだやめておいたほうが無難だな。でも僕と一緒で日帰りなら、そろそろ外出してもいいかもしれない。退屈かい?」
「うん。庭の中だけで、散歩したりスケートしたりくらいしかやることないし……あと、やりたくもない勉強させられているのは納得できない。もうからだのほうは大丈夫だよ」
「ははは……こと君に関して、つい僕は慎重になってしまうんだ。勉強は人間社会に溶け込むためには必要だよ。そうでない人間を甘く見た低脳吸血鬼はやがて狩られる。でも……そうだね。そろそろもっと広いところで滑ってもいいかもしれないね」
「そうして!」
「これがいいかな」と、愛抱夢はクローゼットから一枚のシャツを選び出した。
鏡の前でそのシャツをランガの胸部分に当てる。指で触れてみれば光沢ととろんとした触り心地はシルクだ。こういうのはやめて欲しいとランガは思う。
「あのさ、シルクより普通のコットンシャツのほうが気を使わなくていいんだけど。シルクだと汚したり破いたりしちゃいけないと思うと、楽しく滑れない」
「破いたり汚したりしても構うものか。気にしなくていいのに……」
愛抱夢が気にしなくていいと言っても、俺が気にするんだ——とランガは鏡に映る愛抱夢を睨みつけた。
——おや?
「そういえば俺も愛抱夢もちゃんと鏡に映っているよね。吸血鬼って鏡に映らないものじゃなかった?」
ランガが持つ吸血鬼イメージは小説や映画などから仕入れたいわばファンタジーだ。
「映らないなんて迷信さ。僕たち吸血鬼が人間界に顕現しているということは、基本的にこの世界の物理法則に縛られているということなんだ。当然鏡には映るよ」
「ふーん」
「それに……鏡に映らなかったらとても不便だ。鏡に映らないということは写真にも写らない。自分が他人からどう見えるのか確認する術がないんだよ。身だしなみを整えられない。人に指摘されないと寝癖にだって気がつくことができない。女性吸血鬼なんてメイクアップも自分ではできなくなってしまうだろう」
「確かに……とんでもなく不便だ……」
おいで——と愛抱夢は後ろからランガの肩をそっと掴む。ふたり並んだ姿が大きな姿見に映っていた。こうして見ると普通の人間となんら違いはない。
「こんなふうに愛し合うふたりが寄り添う姿を、どうやっても確認する術がないなんて、そんな無体なことを神がすると思うのかい?」
神? 吸血鬼の口から神って……
「愛抱夢は神様を信じているの?」
愛抱夢は眉を上げた。
「さあね……」
ふふ……と、耳元で笑う声がした。
鏡の中の愛抱夢はいたずらっぽい笑みを浮かべている。この笑顔は要注意だ。
「なに?」
「いや……あとでね」
愛抱夢の笑みがさらに深くなった。
あれって、こういうことだったのか。
今、薄明かりの中、ふたりとも全裸で鏡の前に立っている。
愛抱夢は、背後からまわした手でランガの胸や腹をまさぐりながら首筋に唇を押しつけ牙を当てた。軽い吸血。催淫効果を持たせているのはいつものことだ。より快感を得られるようにと。
肌を這う指は、肝心なところへと辿り着こうとしない。緩慢な愛撫がもどかしかった。頭の中が、ぼーっとしてくる。
不意にランガの膝から力が抜け、ガクリと崩れ落ちそうになった。そんなランガを愛抱夢の腕がしっかりと抱き留める。
「もう少し我慢して。耐えれば耐えるほど得られる快感も大きいんだよ」
そんなこと知ったことではない。
鏡の中の愛抱夢は満足げに笑っていて、彼の指は相変わらずピントをわざと外し愛撫を続けている。
耳に熱く湿った息が降りかかる。
この感じ——湿気を帯びた熱帯のぬるい風を思い出した。でもそんな気候の土地へランガは行ったことがない。知るはずはないのになぜか懐かしいと感じた。とても懐かしいと。
ああ、きっとこれは母さんから聞いた亜熱帯気候である沖縄の話を自分が体験したことのように感じているに違いない。
吸血鬼になってからこんな経験が増えたような気がする。
不意に、からだが宙に浮いたことで意識を引き戻された。愛抱夢が後ろからランガの両腿を掴んで持ち上げたのだ。それも軽々と。
硬いものが尻にあてがわれ位置を確認するように何度か先端で突いてきた。そして狙いを定めズブズブとランガの中へと侵入してくる。散々指でもてあそばれたそこは柔らかくほぐれていて、難なく愛抱夢のものを受け入れた。いや、それは正しくない表現かもしれない。愛抱夢はランガを持ち上げる手の力を緩めることによってランガ自身の重みで少しずつ挿入を深くしているのだ。
それは、まるでランガが愛抱夢の陰茎を咥え込んでいるようでもあった。そうだ。食べている。空腹を満たそうと歯のない口で、もぐもぐと。
まるでそのことを気づかせようとするかのように——
「どうかな。僕の味は……」
からかいを含んだ声とともに、愛抱夢は竿のしなりを効かせランガの腹側の肉壁を抉る。鋭い快感が背筋を電流のように駆け上がっていった。
「あぁ……んっ……」
喉奥から呻き声が漏れた。
ランガは首を振り自分をがっちり持ち上げる腕を力の入らない指で掴み形だけの抵抗を試みるが当然びくともしない。
「ほら、目を閉じない」
瞼を上げていけば鏡に映るあられもない痴態を曝している自分が目に飛び込んできて、ランガは思わず顔をそむけた。
「目を逸らしてはだめだよ。ちゃんと見るんだ」
耳元で低く命じられ逆らうことは許されず、恐る恐る鏡を見れば宙に浮くランガの脚は、M字に大きく開かれていた。その生々しさに身を捩り逃れようともがいた。
「大人しくして。ああ……これだと肝心な場所をちゃんと見ることができないか……」
今の姿だって正視するのは十分にきつい。それなのに愛抱夢は、背をぐいっと反らせ骨盤を前に突き出すような体勢になった。角度が変わったことで鏡は、結合部分をはっきり見せつけてくる。
「ふふふ……ごらん。なんて素敵な眺めなんだろうね。こんなに頬張って。ランガくんは下の口も食いしん坊だね」
「俺の……せい……じゃない」
なんとか切れ切れに声を絞り出して抗議したが、愛抱夢に気にする様子はなかった。
「そうだったかな——無駄話は終わり」
ランガの中でじっとしていた陰茎がゆっくりと動きはじめた。
「うっ……」
根元まで埋め込み絡みつく粘膜を振り切りギリギリまで引き出し、また貫くを繰り返す。そして、腿を掴んだ腕で腰を上下に揺さぶり、一定のリズムでずんずんと内臓を突き上げてくるのだ。
内側を擦られる気持ちよさに、あからさまな喘ぎが漏れた。快感が小刻みにやってくる。
「はっ……ふっ、ああ、もう、駄目……駄目だ、愛抱夢……あ、あん……」
「ふふ……君はいい声で鳴くね。でもあともう少し我慢して……僕もそろそろ……」
愛抱夢の声も欲望に掠れうわずっていた。
快感は高まり続け、やがて絶頂を迎える。快楽に流されるまま完全に受け身で得られるオーガズム。なすすべもなく暴力的に犯され蹂躙されているのだという恐怖と愉悦。そして同時に優しく癒すように抱きしめてくる逞しい腕が与えられることをランガは知っている。
もっと深く。もっと奥まで。もっと強く。もっと激しく。もっともっと……俺を満たして。
ガクガクと全身が震えはじめた。恍惚へと向かう白く霞んでいく自我の中で、愛抱夢の雄叫びが聞こえてくるのと同時に、下腹部に熱く脈打つものを感じた。
その瞬間、からだの中へ何かが——精液ではない何かが流れ込んでくるのが、はっきりと見えた。そして理解した。これが愛抱夢の言っていた精気というものであることを。
了