ひとりで泣いた夜(吸血鬼シリーズ7)

 ここ沖縄は日差しが強い。吸血鬼は直射日光に当たっても、死んでしまうことはないとはいえ、力を発揮することができないのは本当だ。吸血鬼は漆黒の闇の中でこそ、その能力を解放することができる。

 南国の陽光を浴び黄金色に縁取られた赤毛の男が目の前を滑っていった。その眩しさにランガは目を細める。

 へえ……あの人スケーターだ。

 ランガはボードを置き足を乗せるとそのスケーターのあとを追った。

 上手いというかすごく滑り込んだスケートをする人だ。この人はいつから滑っていたんだろう。

 そのままついていけば相手も続くランガの存在に気づいたのか、どんどんスピードが上がっていった。

 なんか楽しいな——と思う。そうか……この人はすっごく楽しそうに滑るんだ。

 やがて車の多そうな道路に差し掛かったあたりで彼は止まると、ボードを蹴り上げくるりと振り向いた。

 赤毛の青年は少し口をもごもごさせてから片手を上げ「ハ、ハロー」とぎこちなく挨拶をしてきた。

 世界中を旅していて、スケートボードを抱えていると地元のスケーターたちが親しげに声をかけてくるのは万国共通だ。

「こんにちは、日本語で大丈夫だよ」と返したランガに男は、ほっとしたように笑った。

「なんだ。日本語話せるのか」

「うん。日本に来たのははじめてだけど母さんが沖縄出身だから話すだけならなんとか。あなたスケート上手いね」

「それほどでもねーよ。それよりすげーな、おまえのスケート」

「ありがとう」

「俺の名前は暦、喜屋武暦っていうんだ」

「きゃんさん? 俺はランガ」

「暦でいいよ。こっちは名前で呼ぶことが多いんだ。内地と違ってな。今日は久々の沖縄——里帰りなんだ」

「大学生?」

「あ、いや……今年から社会人。おまえは学生?」

 今年から社会人ということは大学を卒業したばかりか。年齢は二十二、三歳くらいかな。そうか……自分も吸血鬼にならなければこの人と同じくらいの年齢になっているはずなんだ。だからといってそんなこと説明できるわけもない。

「えっと……十七歳だから……そうだった。そうだよね」

 自分はいったい何を言っているんだろう。どうも肉体年齢と実年齢の相違から自分の立ち位置があやふやになっている。それでも暦と名乗った青年は気にする様子はなかった。まあそうか。日本語が少々不自由な外国人と思えば気にならないのだろう。

「そっかー。高校生って感じかな。思い出すなぁ。一番スケートが楽しかったころだ。いや、今だって楽しいけどよ。社会人になるとどうしても滑る時間がなくてさ」

「仕事、大変なんだね」

「まあな。おまえいつまで沖縄にいるんだ?」

「明後日には帰国するよ」

「そっか。それじゃ少しスケートつき合ってくれないか? 時間が大丈夫なら」

「わかった」

 愛抱夢は今日丸一日ビジネスの用事があるということで、ランガは夕方までひとりで過ごさなければならない。観光するといってもひとりでぼんやり海を眺めるくらいだ。そのうち退屈になる。ならば渡りに船だと思った。

 暦に案内されたスケートパークはこじんまりとしていたが、いくつかのセクションが設置されていた。

「滑ろうぜ」

 促されてランプに飛び込んだ。

 両サイドからスタートし、ボトムから加速して勢いよく飛び上がれば体がふわりと浮いて視界がぐるりと回転した。この感覚……気持ちいい。自然に笑顔になる。すれ違いざまに暦とハイタッチを交わした。ごく自然にそうすることがあたりまえのようにからだが反応する。

 そして、時間も忘れただ無心に滑り続けた。ふたりの他に誰もいない公園でウィールの滑る振動音と子供のような笑い声だけが響いている。

 そうして楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、気がつけば陽は傾きかけていた。あと少しで愛抱夢の仕事が終わる時間だ。急いでホテルに戻らないと。

「俺、そろそろホテルに戻らないと家族が心配するんだ。だからこれで……ありがとう一緒に滑ってくれて」

「おお。悪いなつき合わせちゃって。俺も久々に仲間と滑れてすっげー楽しかったぜ」

「仲間?」

「そりゃそうだ。もう俺たちスケーター仲間だろうが!」

「そうだね。俺も……スケートで、こんなに笑ったなんて初めてだ」

 そうだ。お腹の底から笑い合えた。愛抱夢と滑るスケートとは全く違う。どちらが楽しいか、ではなくただ異なるものなのだ。

 暦が人差し指を立て、グイッと突き出してきた。

「なんだよそれ。ひとつ人生の先輩が教えてやろう。スケートは楽しんで滑るもんだ」

「わかった。覚えておくよ」

「ホテルの場所わかっているのか?」

 言われて遠くに見える高層ホテルを指差した。ランドマークになっているホテルへ向かって滑っていけばそれでいい。流石に迷ったりしないだろう。

「それじゃあ」

「あ。ちょっと待てよ。これ……一応渡しておくわ……」

 暦は会社の名刺を差し出した。

「ありがとう」

「裏に俺のプライベート連絡先がメモしてある。もし縁があればだけどまた一緒に滑れるといいな。今度、日本に来る用事があれば連絡しろよ」

「そうだね。本当に今日はありがとう」

 滑り出して少し振り返り軽く頭を下げれば、暦は「気をつけて。またいつかなー」と大きく手を振っていた。

 なんだか不思議な人だったなと思う。はじめて会ったのにはじめてではないような。どこか懐かしくて人見知りのランガでも自然に打ち解けることができた——そんな感じ。

 なんだ。忘れていた。そうだったな。暦にはスケートの楽しさ——仲間と滑る楽しさを教えてもらったんだった……あれ?

 記憶が混濁する。まだ高校生だったころの暦にスケートを教えてもらった記憶……たくさんのスケート仲間と一緒に滑った記憶。本当に楽しくて幸せだった記憶。

 なぜだろう……仲間の中に——愛抱夢もいる。

 手を振る暦の姿が脳裏に蘇る。

 またいつか——と彼は言っていた。でもそのいつかは永遠に訪れない。何年後かに再会したとしても自分の見た目は変わらずティーンエイジャーのままだ。暦は今よりさらに大人になるだろう。いつか愛抱夢の肉体年齢すら超える。そんなの会えるわけなんてないじゃないか。

 気がつけばホテルは目の前で、すでに周囲は暗く街灯が灯されていた。立ち止まりボードを掴もうと下を向けばポタポタと水滴が暗い路面を濡らす。雨? と一瞬考え、すぐに違うと理解する。

 ——これは涙?

 わかっている——そうだ……俺、泣いているのかな。何が悲しいんだろう。あんなに楽しかった。ドキドキした。ワクワクした。それなのに……

 それなのにとめどなく涙は溢れ頬を濡らす。

 今までだって親しくなって別れ難い気持ちになったことは、何度もあった。でも泣いたことなんてなかったのに……どうして涙が止まらないのか。二度と会えない。二度と一緒に滑れないんだと思うと胸が締めつけられる。こんなこと……はじめてだ。

 暦……もう一度会いたい。願いが叶うのなら、もう一度——一度だけでいいからおまえと一緒に滑りたいよ……暦。