いつもの場所で(吸血鬼シリーズ3)

 物心ついたころ既に、ランガはこの奇妙な部屋へと度々招待されていた。

 はじめて訪れたときの記憶は残っていない。おそらく三歳になるかならないかくらいから、この部屋で愛抱夢と名乗る吸血鬼と過ごしていたのだ。

 愛抱夢が言うところの俗世——ランガが日常生活を送る世界とこの空間では、時間の流れが違うようで、この部屋で数時間過ごしたとしても、現実世界での時間は全く流れていないらしい。そのことを知ったのはごく最近のことだった。

 こんな非現実的なことを何の疑問も持たず受け入れてしまう純粋さは、もう失っているはずなのだけど、あまりにも幼いころから日常のことだったので、不思議なことだと思うこともなかった。何より、現実世界に戻ったとき、この部屋で過ごした時間の記憶をランガは持たない。ここを再訪したときに全てを思い出すことができるだけだった。

 幼いときは、ここで気ままに遊んでいたらしい。それから成長するに従って、愛抱夢はランガの日常の話を聞きたがった。そのため、お茶を飲みながら取り留めのないおしゃべりをすることが増えていった。

 呼び出す目的は、ランガを自分の眷属にすることが可能かどうか、そこまで成長したかどうかのチェックだと教えてくれた。

 眷属——それはつまりランガも吸血鬼になるということだ。それでも、いざそのときになってランガが拒否すれば、そんなことはしないとも約束してくれている。それまで考えておくようにと。

 とはいえ、考えるも何も俗世に戻ったとき記憶を持たないのだから難易度が高いことだと思えた。

 ここで会うたびに愛抱夢は、ランガを裸にして肉体の隅々をチェックすることで、その成長を確認した。まるで儀式のように。

 そして再会の約束——契約だと、ランガの首筋に愛抱夢は牙を当てるのだ。

 愛抱夢からされる吸血行為は、気持ちよくて好きだった。幼いころは無邪気に強請ってしまうくらい。ある程度の年齢になり、それは快感というものだと知った。知ったからといって、手放せるようなものではなかったけれど。


 ランガが十六歳の誕生日を迎える少し前のことだった。愛抱夢は着替え一式をランガに渡してきた。

 愛抱夢は、着せ替え人形のようにランガを着飾らせて遊ぶことがある。何が楽しいかよくわからなかったけど、愛抱夢から「ラブリー」とか「美しい」と褒められるのも悪い気はしなかった。

 その日も——

「これに着替えろって?」

「そう……僕も着替えよう。ペアルックだ。体型などに合わせ若干デザインを違えているけどね」

 まあいいか。でも愛抱夢まで着替えるというのは初めてではないだろうか。

 着替え終え、鏡の前でふたり並んで立った。

 鏡が映すふたりの姿は、人間のイメージする見事なまでのステレオタイプな吸血鬼だ。アニメやゲームのコスプレでいそうな。

 だが——

「何これ。人間がイメージする吸血鬼だね」

「そうなるのかな」

 愛抱夢は整髪剤を手に取り、ランガのヘアスタイルを整え始めた。オールバック気味に髪を固定している。

 この衣装の基本は白と黒の十八世紀くらいの紳士服のデザインだろうか。黒いマントの裏地は鮮やかな真紅で、白いシャツは豪華なフリル付き。愛抱夢は黒、ランガは白の手袋まで用意されていた。

 それにしても……今の時代ハロウィンの仮装くらいでないと悪目立ちする。待てよ……この手触りはシルクか? いかにも高級品だ。この素材感と仕立てだと、ハロウィンの仮装にしてはまた別の意味で悪目立ちをするだろう。

「ハロウィン用の仮装衣装?」

「そんなつもりはない。でも素敵だろう。ああ、僕の見立て通りだ。君にとてもよく似合う」

「それは、どうも……じゃなくて、愛抱夢はいつも人間が吸血鬼に持っているステレオタイプなイメージに否定的じゃないか」

「そうだったかな。確かに吸血鬼は太陽の光に弱いとか、血で栄養を摂っているとか、十字架、ニンニク、銀に弱いとか、棺桶の中で眠る——あたりは……違う! と声を大にして主張したかったけど、中には楽しいものもたくさんあって飽きないよ」

「人間をバカにしている?」

「いや誉めているんだ。人間の素晴らしい想像力をね」

「で、それがどういった気の迷いでこんな『ニンゲンさまの考える最強の吸血鬼』っぽい衣装を俺に着せ、さらに愛抱夢まで着ているの? 実際の吸血鬼は、その時代のファッションやヘアスタイルを取り入れうまい具合に人間社会に入り込んでいるって話していたのに」

「このデザインって、なかなか優美じゃないか。本家としては人間に独占させるなんて、少々腹が立ってね。君はさぞ美しい吸血鬼になるだろうと、僕も妄想が止まらなくなってしまったんだ。そこで雑誌を参考に仕立ててみたんだよ」

 愛抱夢は、テーブルの上にある雑誌にチラリと見た。

 雑誌って、なんか日本のアニメ雑誌っぽいんだけど……その時点で大幅に何かが間違っているような気がする。

「それで、何をするの?」

「さあ、ごらん」

 愛抱夢は微笑み天井を仰ぎ、両手を持ち上げげパチンと指を鳴らした。

 すると部屋がぐぅーんと大きく広がり——広がり? いやそうとしか表現できない。さらに天井からは、煌びやかなシャンデリアが下がり、壁に沿って鮮やかな赤い薔薇がぎっしりと飾られていた。

 まるで映画で観た宮廷のダンスホールのよう。本来ならカクテルドレスとタキシードで着飾った男女で埋め尽くされるのだろう。

 ふと気がつけば、部屋の中を甘い香りとともに花びらが舞っていた。でも花びらは床に落ちることはない。ただ空中をいつまでも舞っている。ひらひらと優雅に。どういう仕組みなのか。

 目を丸くしてぐるりと部屋中を見渡し「すごい」とポツリつぶやいた。まあ少女趣味な印象は否めないが。

「愛抱夢は魔法が使えるんだね」

「魔法とは違う。話しただろう。ここは僕の思いのままになる半仮想空間なんだよ。それと吸血鬼も個体ごとに特殊能力を得ることもあるんだ。僕の本当の力は、そのうち君も知ることになるだろう」

「へえ」

 音楽が鳴り出すと同時に手を握られた。

「さあ、僕と踊ろう。ランガくん」

「俺、踊れない」

「大丈夫、僕がリードするから」

 グイッと引っ張られ、コケそうになりながらも勢いよく愛抱夢の胸へコツンと頭からぶつかった。

「うわっ、ちょっと待って」

 もちろん聞く耳など持っていないようで、ランガの手を取ったまま彼は踊り出した。

 これはソシアルダンス? 前にフラメンコに付き合わされたこともあったけど、ソシアルダンスも踊れるのか。愛抱夢は器用だな——と思う。吸血鬼は皆そんなものなのだろうか。

 とりあえずなんとか踊る。というか踊らされた。ひたすら振り回されていただけともいえる。

 やがて音楽がゆったりとした曲調へと変わったころには、頭がぐるぐるしていた。足は何も踏んでいないようにふわふわする。それに気分が……悪いわけではないけど、なんだろう……ちょっと気分が変だ。

 愛抱夢はランガを抱きしめ耳元に囁いた。

「うっとりとした表情の君もラブリーだね」

 そこで気づく。いつの間に愛抱夢にぐったり体を預けていたことに。彼の胸に片頬を押し付け目を閉じた。

「ふふ……種明かしをするとね、この香りにはリラックス効果があるんだ。催淫効果というほどでもないんだけど……君はそっちが欲しくなっていたかな」

 わかっている癖に。いつものことながら、この人は意地が悪い。

 愛抱夢は片腕でランガを支え、もう片方の手で襟元を緩めていき、白い首筋を晒しそっと指で撫でた。

「欲しくて欲しくてたまらないんだね」

 勝手に心を読まないで欲しい。

 彼の生あたたかい吐息が首筋に触れ、牙があたった。

 くらくらとした眩暈に似た感覚……何もかもをこの吸血鬼に差し出してしまってもいいと、本気で思った。

 ああ、愉悦の時間がまた始まる。