目に見えない大切なもの(吸血鬼シリーズ4)

 自分はどうやら吸血鬼になったらしい。

 けれど、血を飲みたいなんて思わないどころか、人間だった頃と変わらず血は苦手だ。目にすれば卒倒しそうになる。

「俺、血なんて飲みたくないんだけど」

「それは心配しなくていい。吸血鬼といっても、別に血を栄養にしているわけではないんだ。普通に食事もするよ。僕はフォンダンショコラが好きだ」

 それならばひとまず安心だ。

「では、どうして血を吸うんだ?」

「契約……と説明するのが一番近いか。力関係によっては相手を支配するために血を吸うこともある。中には吸っているうちに中毒になったりして、吸血衝動を抑えられない個体もあったりするけどね」

「アル中みたいなもの?」

「近いかもしれない。あと、ありとあらゆる生命、植物、家畜はもとより、ときには人間、果ては魔物から精気いただき糧にしているというのが吸血鬼の本来の姿なのだよ」

「精気って見えるの?」

「見えるものじゃないよ。感じるんだ」

「うーん。俺も感じるようになれるのかな」

「なるよ。それと今はまだ血を吸わなくてもいいけど、最終的に僕の血を飲んでくれないとね。それで僕たちの契約は完成する」

「うっ……」

 結局は飲まないとダメなのか。なんだか気持ちが悪くなってきた。そういえば母さんが血液を介して伝染する病気も多いから、他人の血を気軽に触ったり、ましてや舐めたりしてはダメだと言っていたっけ。

「焦らなくていい。そのうち血も大丈夫になるよ。何年でも何十年でも僕は待とう」

「気長に待ってくれると嬉しい」


 屋敷の庭にはさまざまな種類のバラが植えられていた。植えられているのは薔薇だけではないのだが、今のシーズンは薔薇の盛りだ。赤、白、ピンク、黄色、紫、アプリコット。しかも濃いものから淡い色調のものまで揃っていて、まるで薔薇園のようだった。

 愛抱夢は、薔薇を選ぶ基準は香りだと言い切った。姿形がどれほど美しくても、香りが弱かったり、強くても好みではない香りでは、薔薇の魅力は半減すると主張する。

 ある日の早朝、日の出前に、ふたりで赤い薔薇の花を摘んだ。花は朝露にしっとりと濡れていた。

 愛抱夢から指定された品種の花だけをカゴに入れていった。薔薇は品種によって香りが違うから混ぜたくはないそうだ。

 そして、この薔薇の香りが一好きだと教えてくれた。香調はダマスクモダンとかいう系統だという。

 愛抱夢は、品種改良を繰り返し、このような見た目も美しく素晴らしい芳香を持った薔薇を僕達のために作ってくれた人間を尊敬すると言った。

 別に吸血鬼のためじゃないと思うけど。

「花屋で売っている薔薇って、こんなに香り強くないよね」

「それは目的が違うからだよ。花が長く保つことや、形の良さなど切花で追求しなくてはいけないことがたくさんあるからね。そっちを優先しているうちに香りが弱くなってしまうらしいよ」

「へえ。で、薔薇を摘んでどうするの」

「君の離乳食をつくるんだよ」

「はい?」

 何を言い出すんだ。

「君は吸血鬼の赤ちゃんみたいなものだからね。いきなり血を吸ってみて……とか、その辺の生物から精気をいただいごらん……なんて言っても無理だろう。だから最初はミルク。それが終わったから離乳食」

「ミルクなんて俺、飲んでいないだろう」

「ミルクというか母乳かな……ほら、僕が毎晩ベッドの上でランガくんに精気をわけてあげていただろう」

 顔がカーッと熱くなる。妙なものを想像してしまって、思わず目を強く瞑って首を思いっきり振った。

「精気を自分で吸収するにしても、最初は香りの強い花から摂る方がわかりやすいんだ。だから離乳食」

「それで、これをどうするわけ?」

「癖のないスピリッツにに薔薇の花を漬けるんだよ。数日つけて引き上げ、また新しい花を漬けてと三回繰り返す。香りがスピリッツに移り、綺麗な赤い酒ができるよ。寝かすと褐色になるけどよりまろやかになるんだ」

「俺、酒は飲めないよ」

「飲むというほどじゃない。お茶やミルクに数滴落として飲んでごらん。そこから初めてみようか」

「わかった……でもこの薔薇、なんか愛抱夢みたいだね。愛抱夢の瞳と同じ色。なんていう名前なの?」

「確かクリムソングローリーだったかな」

「ふーん。深紅の栄光……やっぱり愛抱夢だ。俺、この薔薇好きだよ」

 愛抱夢は微笑みランガの頬を撫でキスをしてきた。愛抱夢の指に染みついているのだろう薔薇の強い芳香に頭がくらくらする。気がつけばランガは、愛抱夢の指を掴み、口の中に含んでいた。