約束(吸血鬼シリーズ10)

 ブルスケッタをつまみながらワインを口にする愛抱夢に、薫は眉をひそめた。まあ気持ちはわかる。

「おまえ、吸血鬼のくせにニンニクが平気とは呆れるな」

「吸血鬼はニンニクが苦手——なんて都市伝説さ。ニンニク丸ごと食べろと言われたところで問題ない。もっともニンニクはオイルへの香りづけ程度のほうが上品だと僕は思うよ」

 向かい合ってそんな会話をしているふたりのテーブルの前に、虎次郎はサッとプレートを置いた。

「アグー豚のテリーヌとチーズの盛り合わせだ。つまみはこんなものでいいか」

「やあ、悪いね」と愛抱夢はぐるりと店内を見回した。

「七年ぶりくらいか……店は休業中と聞いていたが、腕は鈍っていないようだな。ジョー」

 薫の隣に腰を下ろした虎次郎は、三人のグラスに白ワインを継ぎ足した。

「そりゃどうも。最近はハンターとしての仕事も減っていてな。そろそろレストランを再開しようかと計画しているんだ」

「今、残っていて問題になりそうな吸血鬼は三桁切ったところだ。連中もいずれ人間界に降りてくるだろう。そのタイミングで君たちに情報を提供しよう」

「ああ。頼む……すべてが終われば心置きなく店を再開できるからな」

 テリーヌをナイフで一口大に切り分けながら薫は顔を上げた。

「人間界は平和になるな……俺もAI書道に専念できるようになりそうだな」

 それから薫は愛抱夢の顔をまじまじと見た。

「それにしても吸血鬼は歳を取らないんじゃなかったのか? 出会ったのは俺たちがまだ高校生のころだったよな。あのときおまえも一応ティーンエイジャーに見えたんだがな。それから七年ぶりに再会したときには俺たちと同じように歳を食っていた。だから最初は再会直前に吸血鬼になったのかと思い込んでいた」

 虎次郎も同意する。

「まったくだ。それで今は……そのころとあまり変わらないように見えて、それでも今の俺たちと同級生だったと言っても誰も疑わないだろうな」

「見た目の年齢を変えるなど吸血鬼にとって造作もないことさ。最初に出会ったときは見た目を少々調整していて君たちに合わせただけだよ。今の見た目が本当の僕だったんだ」

 薫が鼻を鳴らしギロリと愛抱夢を睨んだ。

「このペテン師め」

「そう言うなよ。君たちには色々協力してやっているじゃないか」

 ジョーは笑いながらワインボトルを持ち上げ軽く揺らし、ほとんど残っていないことを確認する。

「次は赤……バローロでも開けるか」

 言ってワインを取りに行こうと席を外した。

「あまりお構いなく——ってチェリーがこれでは物足りないか……」

「当たり前だ。それにしても未だに解せないな」

「何がかな?」

「なぜおまえが、俺達ハンターに同族を売るような真似をするのかってことがだ」

「ふむ。僕はね、種族としての吸血鬼の未来になど何の興味もないからさ。吸血鬼は滅びゆく——いや、滅ぶべき種族なんだ。吸血鬼は歳を取らないわけでも寿命がないわけでもないんだ。ただ君たちに比べれば歳のとり方が、かなりゆっくりなだけなんだよ。長寿のくせに……というか長寿なりに頭や精神性の成長もゆっくりだ——」

 薫が話を遮り口を挟んだ。

「つまり吸血鬼はバカってことか」

 愛抱夢は眉を上げた。

「まあ平たく言えばだ。そもそも人間の科学進歩や技術革新には無関心。何の未来もない。現に地上で血に飢え暴れまくっているやつはそんな時代錯誤の老ぼればかりなのさ。僕としても目障りな連中でね。さっさと消えて欲しいと思っている」

 ポンとコルク栓を抜く軽い音が薄暗い店内に響いた。新しいグラスを並べワインを注ぎながら疑問に思っていたことを訊いてみる。

「同族が滅ぶって寂しくないのか?」

 愛抱夢はワイングラスのステムを摘みスワリングする。グラスの中でクルクルと回るバローロの暗く深い赤。愛抱夢の深紅の瞳と重なった。

「吸血鬼のDNAはすでに人間の中に広くばら撒かれているからね。もっとも吸血鬼らしい覚醒などはないだろうが。それで十分さ」

 薫はワイングラスを掴むと、グイッと煽った。

「前から疑問だったのだがこの社会の中に紛れ込み人間との間に子を成したって意味になるな。そうなると寿命とか違いすぎないか?」

「結婚にあたり血の契約を結び吸血鬼は自分の命と伴侶の命を等しくするんだ。寿命は人間に合わせることになる。いずれにしろ君たちにとって厄介な存在にはなり得ないから安心して欲しい」

「信じておこう。俺たちとしてもそのほうが楽だ」

「解せないといえば僕だって解せなかったさ。七年前の再会の時点で、君たちはすでに一人前のハンターとして僕の正体に気づいた。それなのに僕を狩ろうとはしなかったな。どうしてだ」

「スケート……のせいかもな」と返した。

 あのとき自分も薫も一目でわかってしまった。そして愛抱夢も自分たちがハンターであることを一瞬で見抜いた。ビリビリとした空気の中、愛抱夢は柔らかく微笑み「滑らないか」と提案してきたのだ。

「俺たちは、人間だハンターだ吸血鬼だ——などという以前に所詮スケーターなんだよ。そうだろう。薫」

「ああ」

「そうか……」

 愛抱夢は静かに目を伏せた。

 チーズとドライイチジクをつまみながら薫が切り出した。

「ところで俺たちに話があるというのは、旧交をあたためよう……なんて理由じゃないだろう。そろそろ本題に入ったらどうだ?」

 虎次郎は黙って頷いた。

「そうだったな。君たちにひとつ報告しなくてはいけないことがある」

「なんだ?」

「君たちとの約束を破った」

「それは……穏やかではないな」

 吸血鬼愛抱夢とハンターである自分たちが交わした約束とは、人間社会を混乱させないとか人間に危害を加えないという極めて常識的なものだ。

 薫が柳眉を吊り上げた。

「どの約束だ。もしかして……生涯眷族は作らない——それか? まさか作ったのか」

「ああ……そうだ。で、君たちはどうする。僕を拘束するか?」

 愛抱夢の口角が吊り上がり、虎次郎と薫を交互に見やる。剣呑な空気が店内に立ち込め緊張が走った。

 虎次郎は落ち着いた口調で、しかし強い圧をかけながら低く問う。

「理由を訊こうか」

「ふふ……ジョーは優しいね。実は少し構えていたんだ。いつでも戦闘体制に入れるようにね。まあ僕なら逃げ切れると思うけど、お互い無傷では済まないだろうから助かったよ」

 薫は大きなため息を落とした。

「まったく……黙っていれば気づかれることもないだろうに、わざわざ打ち明けてくる正直さに免じて言い訳くらい聞いてやる」

「では話そう……」

 愛抱夢は、その少年を眷属にした経緯の説明をした。

 ランガという名前であること。放置すればいずれ吸血鬼の王が少年の肉体を奪うだろうこと。少年を救うには自分の眷属にするしか方法がなかったこと。

 何よりその少年を愛していて、彼が拒絶さえしなければ自分の伴侶にすると決めていたことを。

「なるほどな」

「彼を吸血鬼にすることなく僕が彼の寿命に合わせる方法もないわけではなかった。しかし、彼を人間のままにしておけば、いずれ肉体を奪われる。僕はあの子を守り切る自信がなかったんだ」

 愛抱夢がすべてを打ち明けているとは思わない。それでも大筋で嘘を吐いてはいないのだろう。

「わかった。納得してやろう」

「仕方ないな」と薫も渋々同意した。

「恩に着るよ。そうそう、彼もスケーターなんだ。すごいスケーターだよ」

 薫は勝手に自分のグラスにワインを継ぎ足し顔を上げた。

「そうか。久々の沖縄だろう。Sに連れてこないのか?」

「そのつもりだったのだが……残念ながら今の彼は少々不安定でね。まだ強い刺激は避けたい。もう少し待ってほしい」

「俺たちはおまえら吸血鬼ほど長生きじゃないんだ。ぼやぼやしていると死んじまうからな。そこのところを忘れるなよ」

「ああ。肝に銘じておくさ」

 最後にひとつ引っかかっていたことを確認してみることにした。

 愛抱夢は自分たちのことを友人だと言ってくれる。しかし所詮違う種族だ。寿命も感じ方も価値観も何もかも根本的なところで分かり合えない。それでも愛抱夢——もちろん自分と薫も、そのことを理解しつつお互いを友人として認め受け入れている。少なくても自分はそう信じているのだ。

 だからずっと気になっていた。

「……なあ愛抱夢。おまえは今、幸せ——いや、ひとりぼっちではないんだな?」

 愛抱夢はとびきり上等の笑顔を見せ、うっとりと宙に視線をやった。

「ああ。もちろんだ。僕はイヴに出会えたのだから」

 プッと吹き出した薫が肩を震わせる。

「そうか……だが十分気をつけろ。組織にいるハンターは俺たちのような穏健派ばかりではない。悪さをしない吸血鬼もすべて根絶やしにしたい奴らもいる」

「忠告痛み入るよ。……さて、そろそろ僕は失礼するとしよう。待っている人がいるからね」

 立ち上がった愛抱夢をドアまで見送った。

「また会おう」

 ドアの前で軽く振り返り手を振ると、愛抱夢は宵闇の中へ紛れ姿を消した。