勝負!

 まさか、このような形で君を手に入れられるとは思っていなかった。

 薄闇に包まれ、ふたり分の息遣いが忙しない。ベッドの軋みとシーツと肌が擦れ合う小さな音が夜気の中へ吸われていく。

 枕をきつく握りしめた白い指が小刻みに震えていた。

 激しく腰を叩きつければ枕に顔を埋めたランガの「あっ、あっ、あっ……」とくぐもった喘ぎ声がリズムを刻む。背中にぽつぽつと汗が浮き、髪が滑り落ちあらわになった白いうなじが目に留まる。そのなまめかしさにぞくりとした次の瞬間——

「ああ!」

 叫び声とともに背を反らせ、愛之介はがくりと崩れ落ちた。

 ランガの中に打ち込んだ肉の杭が、どくんどくんと脈打っている。中は熱く、締めつけたり緩んだりを交互に繰り返すうねりに、ランガも絶頂を迎えたのだとわかった。

 繰り返し押し寄せる快感の波に襲われているのだろうひくつかせている体を、背後から腕をまわし強く抱きしめれば、愛おしさで胸がいっぱいになる。

 なんて満ち足りた気分なのだろう。

 そうやって彼の背中に胸をピタリと合わせたまましばらくじっとしていた。やがて乱れた呼吸が落ち着いたころ、ゆっくりと上体を起こし視線を落とす。ランガは片頬を枕に押しつけたまま目をじっと閉じたままだった。まだ深い陶酔の中に漂っているのか彼の肩や指が、ときたまぴくぴくっと痙攣している。

 愛之介はベッドからそっと足を下ろした。

 コンドームを外して始末し、汚れを拭き取れば、体臭と汗と精液の混ざったにおいが鼻をつく。

 もう一度、ランガの傍らにそっと寄り添い片肘で頭を支え声をかけてみた。

「ランガくん……大丈夫かな」

 反応はない。まだ体を動かしたり返事をするのが億劫なのだろう。そっとしておくことにする。

 絹糸のような水色の髪を指で梳き、ゆっくりと上下する白い背中に手を乗せた。

「ん……」と、少し頭を持ち上げ目を開いたランガは、ピントの合っていなさそうな瞳で愛之介を見た。

「何?」

「声が掠れているね」

「少し喉が痛い……」

「それは、あれだけ喘いでいたんだから無理もない」

 ランガは、むうっと唇を尖らせながらも、もぞもぞと猫のように擦り寄ってきた。甘えてくる彼の頭を撫でれば「もう一回する?」と訊いてきた。

「ん? もちろん。君は大丈夫かな」

 するとランガは、何かを思い出したような顔で慌てて「ごめん。今の忘れて」と言い出した。

「どうかした?」

「あの……俺、うっかりしていた。自分のことばかりで愛抱夢のこと考えていなくて……明日、スケートすること忘れていたんだ。だから無理して俺に付き合わなくていいよ。愛抱夢は、おじさんなんだからさ」

「お、おじ……って、なんで僕が——」

「愛抱夢は、おじさんだから体力がだんだん落ちているんだって、実也が……」

「実也が言っていたのか」

「うん。でも実也だけじゃないよ。暦とシャドウもそのとおりだって言っていたし。おじさんに無理させると学生と違って仕事に響くから気にしてやれって、ジョーとチェリーがアドバイスしてくれたんだ。だから無理しちゃだめだ。自分を労わって。明日のスケートに響くのだけは、俺としても避けたい」

 そんなものアドバイスのわけあるか。

 あっけに取られてランガの顔を凝視すれば、どうやら大真面目のようだ。

 ランガはからかったり、バカにしたり、まして悪口だとも思っていない。ただの優しさ、気遣いのつもりなのだろう。素直すぎるのも考えものだと、内心頭をかかえた。

 それにしても、あいつら……面白がってランガによからぬことを吹き込んでいるのか。だいたい同い年のジョーやチェリーにおじさん呼ばわりされる筋合いはない。

 ランガは、おかまいなしに話を進めていく。

「それでさ、もう限界? すぐに寝る? それともシャワーくらい浴びてから?」

「ランガくん。ひとつ言っておこう。確かに僕は実也のような子供から見ればおじさんなのかもしれない。それでも恋人の君からもそう見られてしまうのは耐え難い」

 ランガは肩を軽くすくめた。

「ごめんなさい」

「いいかい。僕は断じておじさんではない。そうだなそのことを今から証明してみせよう」

 そう言い終える前に、ランガの肩を掴み素早くベッドの上に押し倒した。

「うわっ! ——証明って?」

 目をぱちくりさせているランガに、ニッと唇の両端が上がった。

「僕の体力は若い君に負けていないということの証明だ。うん。俄然やる気が出てきた。決めたよ。今夜は、ランガくんを眠らせてあげない」

 ランガは桜色の唇を凛々しく結んだ。

「わかった。勝負だ。俺は負けない」

 いったいこの子は何の勝負をするつもりなのか。おそらく体力勝負くらいにしか考えていないのだろう。思わず眉が寄った。

「勝負じゃない。僕がおじさんではないことを君に証明するだけだ」

 顔を少し近づければランガの指が頬に触れれてきた。その指を握りキスをすれば、青い瞳がキラキラと輝いた。妙に嬉しそうだ。

「それって、もう一回するってこと?」

「一回だけなんてとんでもない。いいかい。必ずや僕はランガくんがもう無理……って泣くまでやめてあげない……」

「そうか。やっぱり勝負ってことだろう」

 いや……だから……まあいいか。それは身をもって理解してもらえばいいのだから。

 顔を徐々に近づけていけば吐息が混ざり合い、すぐに唇が重なった。ランガの手が背にまわされる。筋肉を確かめるように背中を這い回る指がなんともこそばゆい。

 キスは少しずつ深くなり、お互いの唇を激しく貪り合った。


 その夜、自分は何回いくことができるのかということを数えて記憶しておくつもりだったのだが、瞬時に忘れた——というより、どうでもよくなった。いずれにしろ、ランガがオーガズムを得た回数は、間違いなく自分よりはるかに多いのだ。

 組み敷かれ、されるがままだったランガが、今度は自ら愛之介の上にまたがり積極的に腰を振る。そんなふうに上になり下になり——と、くるくると体位を変えていった。

 かつてないほどの激しい鳴き声がランガの喉からほとばしる。きれぎれにあがる掠れた喘ぎ。とろんと潤んだ青い瞳は、何も見えていない。内にこもる快楽だけをひたすら貪欲に追い求めているようだった。その姿態の淫らさは、普段の清麗なランガと脳裏で二重写しになって、いつも愛之介の理性を狂わせる。

 今のランガは、スケータースノーとは違うものだ。愛之介もすでにスケーター愛抱夢ではない。

 言葉にしなくてもお互いの求めるものがわかっている。ふたりとも相手の快感の所在をごく自然に理解し探り当てた。

 熱い……涼やかな外見からは想像つかないほどランガの内側は熱く——何よりも甘い。

 溶けていく……己の肉体が、自我が、意識が……彼とひとつに……

 ふたりは体を繋げたままベッドの上で、ダンスをするように絡み合い、羽ばたき——そして高く飛んだ。

 行こう。アダムとイヴの住まう楽園——ふたりだけのあの世界へと……


 光が瞼を透かしている。何度か瞬きをしながら目を開いていけば、遮光カーテンの隙間から光が漏れていた。時計に目をやり、ぎょっとする。もう正午近くではないか。

 やれやれ。まあ、寝た時間が時間だった。無理もないと自分に言い聞かせ、むっくりと上半身を持ち上げた。

 視線を落とせば、ランガは体を少しこちらに向け毛布にくるまれたまま、もぞもぞと身じろいだ。起こしてしまったのか。

「おはよう。ランガくん。もう昼だよ」

 ランガは寝ぼけ眼を開いた。

「おはよう……ねえ、俺の負けだった? 眠気に勝てなかった……悔しい」

 起き抜けの第一声が勝ち負けか——などと突っ込みたくなるが、それもランガらしい。

「僕も打ち止めだったからね……今回は引き分けってことでどうかな?」

「次は必ず勝つ!」

「いや……勝ち負けじゃないんだよ。僕はただ君に認めてほしかっただけなんだ」

 ランガはきょとんと首を傾げ上目遣いに視線を斜め上に向けた。思い出そうとしているらしい。

「何を?」

 がくりとうなだれ。彼の肩をがしっと掴む。

「僕がおじさんなんかじゃないってことをだよ」

 ランガは不思議そうな顔をした。吸い込まれそうな澄み切った青い瞳が愛之介を映し出していた。

「えっと……そんなにおじさんと思われることが嫌なのか?」

「少なくても君からは、そう呼ばれたくないし思われたくもない。僕は君から見ても十分体力もあって若くてかっこよくて魅力的だろう。どうかな?」

「そんなことわかってる。そうか……愛抱夢はおじさんなんかじゃない——でいいよね。愛抱夢がいやなのなら、もう言わなしそう思わない」

「わかってくれたのならそれでいい。さて、さっとシャワーを浴びて、食事にしよう」

「うん。それから滑りに行くよね」

「当然だ」


 スケートボードを抱え外に出て額に手の甲を当て空を仰ぎ目をすがめた。なんて眩しい……

「太陽が黄色いな……」

 ぽつりと口走ってしまった言葉にぞっとした。今どきの若者が使う言葉ではないような気がする。自分の仕事仲間——正真正銘のじじい政治家や権力者たちの猥談を浴びてしまった影響に違いなかった。こういう無意識に採用してしまう言葉の端々におじさんっぽさが滲み出てしまうものだ。気をつけないと。

 もっともランガはなんとも思っていないだろう。そもそもカナダを含め多くの国では太陽は黄色か白なのだし、太陽の色を赤ととらえる国は少数派なのだ。

 今後は気を引き締めることにする。しかし、そんなことを意識して取り繕うとする現実が、愛之介を少し落ち込ませた。

「ねえ、愛抱夢……俺の父さんが死んだとき、愛抱夢よりずっと年齢が上で、他人から見れば普通におじさんだったんだろうけど……あのさ、父さんはすっごくかっこよくて最期まで俺のヒーローだったんだ。だから……」

 そこまで彼が言ったタイミングで、エンジン音とタイヤが地面を擦る音が聞こえてきて顔を上げる。見れば、門の前に黒い車が停まった。時間ぴったりだ。

「迎えが来たよ。いざクレイジーロックへ……」

「勝負だ。手抜きはなしだよ」

 降りようとシートベルトを外そうとする忠を、愛之介は手のひらを向け制止した。

「そんなこと言うまでもない。全力でやるよ。たとえ愛しいランガくんであってもね。いや……相手がランガくんならば、なおのことだ。なにしろ僕は……」

 ドアハンドルに指を掛け、振り返る。

「ランガくんのかっこいいヒーローだから。永遠にね……」

 ランガの花びらのような唇からこぼれ落ちる嬉しそうな笑みに一瞬見惚れ、それから車のドアを開いた。