月光

 ちょっとしたトラブルに巻き込まれ、予定の時刻より到着が、かなり遅れてしまった。

 一応連絡は入れてあるものの、その間ひとりぼっちにさせてしまったランガには可哀想なことをした。もっとも、この埋め合わせをどうするかと悩む楽しみをまたひとつ手に入れたのだが、それは伏せておこう。

 別荘に辿り着き、玄関のドアを開ければ彼が出迎えてくれた。

「おかえりなさい」

「ただいま。待たせてすまなかったね」

「それはいいけど。大丈夫だった? 怪我——鞭打ちとかなってない?」

「ああ、問題はないよ。停車中のこちらの車にぶつかってきたので百パーセント相手側の責任だけどね」

「責任とかいう話じゃなくて……」

 ランガは真剣な表情で「痛いところとかない?」と、異常がないかを点検するように愛之介の全身をじろじろと見てくる。

「心配ないよ。説明するとね……」

 と事故と後処理の経緯をひと通り伝えた。

 ドライブレコーダーを確認してもらったところ、停車中のこちらの車の後方約一メートルくらいの位置で自動ブレーキが正常に作動したらしい相手の車は停止している。ところが、なぜかまた動き出してコツンと軽くぶつかってきたのだ。その車のドライバーはどうやらアクセルとブレーキを踏み間違えていたらしく、停車しても足を退けることなくそのまま踏み続け、自動ブレーキが解除された瞬間また動き出し追突してしまった。

 警察と保険会社に連絡。それから警察による実況見分と、ひと通りの手続きを終わらせ、あとは忠に任せることにして、ランガの待つこの別荘へと急いだ。

「ということなんだ。鞭打ちになるようなスピードでぶつけられたわけじゃないから安心して」

「よかった」

 ランガは、ほっと息を吐いた。

「悪かったね。せっかく時間を取ってもらったのにスケートができなくなってしまって。明日は思い切り滑ろう。とりあえず食事だ。お腹すいただろう?」

「うん……でも、少しだけ滑りたいな。食事終わったあとに……」

「では、食後のクルージングと洒落込むとしよう」


 頬を掠める風が心地よい。街路樹に挟まれた人気のない道をふたりで抜きつ抜かれつを繰り返し滑っていった。月の光を受けた樹々が落とす蒼い影の間を縫ってふたつの影法師がすいすいと進んでいく。

 梢の葉を揺らす風の音と滑走音だけが聞こえてくる静かな夜だった。

 夜空を仰げば、ぽっかりと浮かぶ大きな月が眩しい。

「満月……そうか。だからかな」

「何が……うわっ!」

 釣られて夜空を見上げたランガが一瞬バランスを崩した。

 さっと彼の腰に腕をまわし手を取り、がっちりホールドしながら止まる。それからくるりと彼のからだを回し正面で向かい合った。

「大丈夫かい」

「うん。ありがとう」

「月に見惚れてしまったかな」

「ミスった……それで何が〝だから〟なんだ?」

「うん。今日の事故だけど、満月の日は交通事故が多いなどという統計があるという話があるんだ。ただの都市伝説かもしれないし、運転しながら、あるいは歩きながらうっかり月を眺めて注意散漫になってしまうせいだとも言われている。まあ、今回はまだ明るい時間帯だったから月に気を取られたということは、あり得ないけどね」

「へえ……知らなかった」

 愛之介に向けられた瞳は、明るい月夜の中でもかろうじて青が保たれていた。夜も更け闇が深くなっているはずなのに世界はこんなにも明るい。

 夜風が吹き抜けていく。透明な月の光が、なびいた水色の髪を煌めかせ白い肌を透かしていた。

 ああ、綺麗だ。月そのものよりも、降り注ぐ銀色の光の中にいるランガに見惚れてしまう。

 目が合うとランガは軽く触れるだけのキスをしてくる。

 顔を離しイタズラっぽく笑う彼を抱きしめれば、ふわりと涼しげな匂いがした。やすらぐのに、なぜか熱く息苦しくもさせてくるランガの匂い。

 だから、いつだって彼が欲しい。いつだって求めてしまう。

 ランガの頬を手のひらで包み、今度は自分からキスをした。少しずつ深みを増していくキス。あたたかい舌に舌が絡みつく。夢中で貪り合うふたりを月明かりだけが、優しく照らしていた。