素直になれなくて

 羽田へのフライト前になんとか時間を調整しランガを呼び出した。那覇を発つ前に顔を見たかったのだ。急な呼び出しであったにもかかわらず、あっさり応じてくれたランガは待ち合わせ場所に現れた。

「やあ。よく来てくれたね」とこちらが満面の笑みを浮かべても、彼の表情筋はほとんど動かない。つまりほぼ無表情。微かに目元が笑ったような気がしないでもないが、それは愛之介の願望が見せる幻覚なのかもしれない。それから一方的にしゃべり続けても、彼は一言二言返事を返すが「うん」とか「はい」とか「わかった」くらいで、どうにもそっけない。

 いや……でも、先約さえなければこうして会ってくれている——ということはランガは自分に対して一定水準以上の好意を持ってくれているのだと考えていいだろう。あと、もう一押しだと自分に言い聞かせる

 わざわざ来てくれたお礼に何か甘いものでもと、彼をぜんざい屋に誘った。ぜんざいは本土の温かいぜんざいとは異なるもので甘い煮豆の乗ったかき氷だ。ランガはまだ食べたことはないという。

 テーブルに置かれたぜんざいにランガは目を輝かせた。

「へえ……これがぜんざい。いただきます」

 この表情……自分はどうやらぜんざい未満らしい……

 それでも美味しそうにぜんざいをパクつく彼の愛らしいこと。それに見惚れていればだらしなく頬が緩みっぱなしになってしまうのは許してほしい。

「どうかな。美味しいかい?」

 顔を上げた彼は愛之介と目が合うとニコッと笑う。それは輝くような笑顔だった。

 ラブリーッ!

「うん。とても。また美味しいものを教えてくれて、ありがとう。愛抱夢」

 今のところランガが喜んでくれるのは、スケートと食べ物がらみなのだが、餌付けをしている気分だ。

「どういたしまして。そんなに喜んでもらえるとは。ランガくんは素直ないい子だね」

 何気ない心からの褒め言葉だったのだが……

 甘く煮た金時豆とふわふわの削り氷が乗ったスプーンを半開きだった口の前でピタリと止めてランガは眉を寄せた。なんか睨んで……いる?

 どうしたのだろうか。今までに何度となく彼に向け口にしていた聞き慣れた言葉のはずだ。普段のランガなら引っかかることもなく黙々とスプーンを口に運んでいただろうに。

「その言い方。愛抱夢はどうして俺をそう子供扱いするんだ」

 この〝素直ないい子〟 なんて言葉を口にするのは周りに人がいない、ふたりきりのときだけだ。

 周囲を窺ってみた。

 今だって……ということは聞かれて恥ずかしいから人前で言うなではなく、言葉そのものに対する拒否反応ということになる。

「そんなつもりはなかったのだが気分を害したのなら謝るよ——ほら、それ早く口に入れないと溶けちゃうよ」

 ランガはむっとしながらも慌ててスプーンに乗ったぜんざいを口の中に放り込んだ。

 その様子に「拗ねたランガくんもかわいいよ」と口を滑らせたら、またもや嫌な顔をされた。

 反抗期か?

 ランガは綺麗に食べ終えたぜんざいの器にスプーンを置いて顔を上げた。

「あのさ……愛抱夢はたまにそう言うけど。俺、日本語の微妙なニュアンスがよくわからないことがあって、暦に〝素直ないい子〟って言われたらどう思う? って訊いてみたんだ」

「ふむ。で赤毛くんはなんて?」

「ガキだとバカにされているなと思うって暦は言っていた。親くらい歳が離れていたら別らしいけど」

 少々動揺しつつも、余裕の笑顔を取り繕う。

「それは心外だ。僕としては褒めているつもりなんだけどなぁ……」

「女子じゃないんだから。高校生男子では褒め言葉にはならないんだってさ」

「ぐっ……」

 赤毛め。ランガによからぬ正論を吹き込まないでほしい。

 まいったな。これはあれに違いない。言い訳をすればするほど墓穴を掘るというパターンだ。

 ランガに向かって〝素直でいい子〟と口走ってしまうのは、他の褒め言葉と同じように本気で好ましいと思っているランガの性質だからだ。子供だと下に見ての言葉ではない。

 それでもランガが子供であることは間違いない。今はまだ……

 自分とランガの九歳という年齢差は大きい。世代が違う。これがあと十年もすればそこまで差を感じなくなるのだろが、今のランガは愛之介からしてみれば、まだまだ未熟な子供だ。なんせ社会経験がない。アルバイトをしているとはいえ、親に扶養されているのだから。つまり愛之介にとっても保護対象ということになるのだ。

 それでも、最近のランガは変わってきている。彼なりに成長——大人になりつつあるということなのだろう。

 そしてランガは、可愛いなどと表現するのがはばかれるくらいその美貌に磨きがかかっている。見慣れているはずの自分でさえ心臓がドキドキして魅入ってしまうほどに。

 そう……ランガは、少しずつ子供っぽさが抜けていっているのだ。今まさに少年から青年へと変貌を遂げようとしている。

 そうなると今の子供特有の可愛らしさを見せてくれるのはあとわずかしかない。純粋で無垢でまっすぐな彼は際限なく愛おしい。無邪気な笑顔に胸がキューンとして——これもまた際限なくときめく。

 だからこそ、どのような瞬間も見逃したくないと思ってしまうのだ。

 彼をいじり倒したい衝動がむくむくと湧きあがり、むずむずする指をパラパラと所在なく動かした。

 今はまだそれ以前とはいえ、ランガが高校を卒業する前はキスまでと決めているのだから、せめて思い切り抱きしめ「いい子いい子」と頭をぐしゃぐしゃ掻き混ぜて頬擦りしたい。とことん甘やかし、この溢れる愛でランガを満たしたい。そんな衝動をギュッとこぶしを握り落ち着かせた。その程度のことで嫌われたりはしないだろうが〝うざいおっさん〟扱いされかねない。彼の目に映る自分はあくまでもスマートでかっこいい完璧な大人の男でなければいけないのだから。

 テーブルに肘をつき指を組んで顎を乗せ、余裕の表情で微笑んだ。

「子供扱いではなく、ランガくんは子供だよ」

「そりゃ愛抱夢に比べれば俺なんてまだ子供かもしれないけどさ……」

 不満げにぷぅーと膨らんだ彼の頬を指でつんと突いて目を細めた。

 こういうところが子供なんだけど、それにしてもなんて愛らしい。ランガは不服だろうけどこっちの表情筋はだらしなく弛緩しっぱなしだ。もう……かわいくてかわいくて……いったいどうしてくれよう。

 ふやけた口元をキリッと強引に引き締め、冷静な口調で彼に語りかけた。

「誰でも否応なしに歳を取るんだ。君や君のお友達だって皆自然に大人になる。立派な大人になれるかどうかは別にしてもね。僕はランガくんより九年も人生経験を積んでいるんだよ。子供に見えたとしても不思議ではないんだ。ランガくんだって九歳年下の小学生を子供だと思うだろう」

「た、確かに……」

 待て。そこは突っ込むところで納得するところではないだろう。どこまで素直な子なのだろうか——と少々不安に感じつつ鼻と鼻がくっつくほどの距離まで顔を近づける。そして、一気に畳み掛けることにした。

「いいかい。あと十年もすれば僕と君との年齢差はさほど感じさせなくなる。考えてごらん。九十歳と七十歳の恋人同士を〝年の差カップル〟なんて言うかい? 言わないだろう」

「そっか。なるほど……」

「だから君を可愛がり甘やかすことができるのは、今のうちなんだ。どうか僕のわがままを聞いてほしい」

「うん」

「僕の気持ちをわかってくれたかな」

「言っていることは半分くらいしか理解できなかったけど、愛抱夢の気持ちはわかったような気がする」

 黙って頷いた。今はそれで十分過ぎるくらいだ。

「おや、もうこんな時間か。残念だが、そろそろ空港に行かないといけない。出ようか」

 那覇空港ターミナルまで見送ると言ってくれたランガと並んで歩く。ランガがぽつりと言う。

「俺さ、カナダでは友達なんていなくて。暦と友達になって、距離の感覚がわかっていなかったらしくて……もう少しで取り戻せなくなるところだった。俺、暦に甘えていたんだ」

 ランガと赤毛の間で喧嘩——なんらかの仲違いがあったという噂は小耳に挟んでいる。それは本当に些細な行き違いに過ぎなかったのだろう。今では自分がやきもちを焼いてしまうくらいの仲には戻っているのだが、親友という関係から踏み外しさえしなければ、こちらとしても手出しはしないつもりだ。

「あのさ……俺、愛抱夢にも甘えているよね」

 え? ……そうか! なんだ……甘えてくれていたんだ。今すぐにでもランガを抱きしめ、思いきり髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜたい……などという欲望を抑え込み、彼の頭を軽く撫でるだけで我慢した。場所が場所だ。

「そうかな? 僕としてはもっと甘えてほしいけどね。甘えていいんだよ。僕は赤毛くんと違って大人だから大丈夫だよ」

 大丈夫どころか、むしろ大歓迎だ。ベタベタとわざとらしい甘えではなかったから、あれを甘えと解釈していいのかずっと迷っていた。

「いいの? 甘やかしすぎると人間ダメになるって……」

「ランガくんは僕が甘やかしてくらいではダメにはならないさ。僕だって加減くらいわきまえている。甘えたいという気持ちがあるのなら素直になるべきだよ」

「そっか……」

「どう? これからも僕が君を可愛がり甘やかすことを許してくれるかな?」

「うん……あの……S——ビーフ以外ならいいよ」

「それは当然だ。ビーフでは、たとえ子供相手であっても僕は手を抜かない。ランガくん。次のSで僕とビーフで勝負しよう。どう?」

「いいね。楽しみにしている。俺、負けないからな。じゃあ、気をつけていってらっしゃい」

 ランガは明るく微笑み手を振り、愛之介も「それでは行ってくるよ」と手を小さく振った。