いつの世までも末永く

「夏休みの予定?」

 背中からかけた声に、試験勉強中の同居人は手を止め椅子をくるり回した。真正面で向き合ったところで、目を合わせもう一度訊いてみる。

「そう。大学の夏休みは長いだろう。ランガくんの予定を教えてほしいんだ」

「えっと……夏休みには沖縄の実家に帰って、たぶん暦たちとスケートしたりSがあるのなら参加して、バイトがあるから八月終わる前には東京へ戻ってくる。そのくらいしか考えていないかな。細かいことはあっち行ってから考えるよ」

「それなら帰省前に僕と旅行しようよ。三泊四日くらいで。どうかな」

「いいけど、どこへ?」

「ランガくんの希望は、ある?」

 そんなもの彼にあるとは思えなかったが、一応訊いてみる。

「ない。俺、知らないし……」

「君の希望が特にないのなら、八重山の方へ行ってみようと思うんだけど。どうかな」

「八重山?」

「沖縄本島よりずっと南にある離島だ。新石垣空港へは羽田からの直行便がある。君は確か宮古島には行ったことがあるって言っていたよね。宮古島より南にあるんだよ。沖縄本島とはまた違う趣があるよ」

「うん。わかった」

 即答してくれたことにほっとする。今更沖縄県内かと普通の子なら言いそうだが、ランガはその点素直だ。

「快諾してくれて嬉しいよ」

「そういえば宮古島の海って那覇近辺の海と色が違ったんだ。あれって天気のせいだったのかな」

「宮古島は本島と違って川がひとつしかないから流れ込む土砂も少なくて、海の透明度が高いんだよ」

「へえ……知らなかった。愛抱夢って物知りだね」

「このくらい普通だよ。それで帰りは石垣島から、那覇へ一時間くらいだからそのまま実家のお母さんのところに帰ればいい」

「愛抱夢はどうするの?」

「僕は那覇の自宅に一度戻って翌日にはまた東京だ」

「忙しいね」

「大人は仕方ないさ。それでも、ときどきはSにも顔を出せるだろう」

「うん。楽しみにしている」

「楽しみなのは、旅行? それともS?」

「どっちもだよ」

「では、航空チケットやホテルの手配は僕がやっておこう。大学生は夏休み前のテストでそれどころじゃないだろうからね」

 そうは言ったものの、航空チケットもホテルも一ヶ月以上前に押さえてある。いや正確にいうと秘書に手配させた。ランガが具体的に行ってみたい場所を指定できないだろうことは想定済みだ。たとえ彼に行きたいところがあったとしても、それは今からの予約は難しいから次の機会に、などと言いくるめるのは容易いと考えていた。そもそも夏休みの旅行の予約をこれからしようなんて流石に呑気過ぎるのだが。

「じゃあ、よろしくお願いします」

「旅行のことはすべて僕に任せて。必ずやランガくんを満足させる素晴らしい思い出の旅にしてみせるよ。君は気にせず思い切りテスト勉強に集中するといい」

 ランガは少しばかり神妙な顔になった。大学に入学してはじめてのテストだ。若干の不安はあるのだろう。

 それでも、テストさえ乗り越えればふたりだけの世界へ出発だ。俗世の煩わしさを忘れ、思い切り自由に己を解放しよう。


 ということで、待ちに待ったランガとの小旅行に出発する。

 羽田から新石垣空港まで三時間半ほど。どこの離島に行くにしてもほとんどが石垣島からフェリーが出ている。

 旅行に割ける時間は三泊四日のみ。他の離島は諦め、今回は石垣島と西表島に集中することにした。機会があれば、いつか日本最南端の有人島である波照間島へも連れて行ってやりたい。もちろん南十字星が観測できるシーズンに。

 八重山のエメラルドグリーンの海と白い砂浜は本島と同じ珊瑚礁のものだ。しかし川が多く赤土が海に流されやすい本島と比較すると離島の方が海の透明度が若干高い。

 リゾート地として開発が進んでいるとはいえ、まだまだ自然が豊かで人も素朴だ。何しろ、八重山諸島は那覇より約四百キロメートル南方にあり、台湾の方が近いくらいなのだ。

 そのせいか、ここの人たちは自分たちが沖縄県民であるという意識が少々希薄だ。なんせ、彼らが那覇など本島へ出向くとき「沖縄へ行ってくる」などと表現するのだ。離島は琉球王朝から重い人頭税を取られ搾取に苦しめられた——という歴史から考えれば当然なのかもしれないが。


 最初の目的地は西表島の予定だ。石垣島の離島ターミナルからフェリーで一時間かからない。

 島内の九十パーセントが手つかずの亜熱帯原生林だという西表島は、本島はおろか他の離島とも印象が違う。

 そんな西表島の景観にランガはいちいち感動していた。「比べてしまうと那覇だって十分都会だったんだね」と、大発見だ! と言わんばかりの様子ではしゃいでいる。その上どこで聞き齧ったのか「イリオモテヤマネコって見られる? 見たいな」などと言い出した。残念ながらまず無理だ。自分だって見たことないし、西表島のガイドだって一度も見たことないなんて人も普通にいる。なので「見られたらラッキーだね」と言っておいた。

 河口の汽水域から中流域までマングローブを両岸に眺めながら遊覧船で上っていくジャングルクルーズはダイナミックな景色を楽しめる。マングローブだけではなく、西表島でしか見ることのできない珍しい亜熱帯の植物が鬱蒼と茂っているのだ。

 ここは本当に日本なのか、とランガが驚くのも無理はない。

 そして、この旅行のハイライト、夜明け前のまだ暗いうちにサガリバナを観賞するカヌーツアーにランガを連れて行った。

 ここに来た自分の真の目的は、このサガリバナだったといっても過言ではない。

 夜明け前の暗闇の中ホテルを出発し、川にカヌーを浮かべ、満天の星空の下で咲く幻想的なサガリバナを眺めながらパドルをかく。やがて空は白みはじめ夜明けと共に花は川の上へと落ちていくのだ。ぽとりぽとりと。一夜限りの儚い花は、早朝の光の中、煌めく川面をゆっくりと流れていく。そんなサガリバナはなんともいえない風情があった。

 そして、朝靄が漂う中、サガリバナに囲まれ瞳を輝かせるランガの可憐なこと。

 そうだ。これだ。こんな情景の中でランガを愛でたかったのだ。

 愛之介はうっとりと目を細めた。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎる。

 明日の夕方には那覇に帰るのだというその日、石垣島をのんびりと巡り最後にミンサー織の工房を兼ねた店舗へと立ち寄った。

「特注していた品を受け取ってくるから、ランガくんは、ここで待っていてくれないかな」

「わかった」

 支払いを終え商品を受け取りランガのところへ戻ると、彼はトートバッグを手に取り、じっと見ている。

「どうかしたのかな?」

 ランガは顔を上げた。

「この感じ、どこかで見たなって。それで思い出したんだ。確か母さんがカナダにいるとき使っていて、今でもたまに使っているトートバッグがこんな感じなんだ。あとさ、父さんもこの柄のパスケースだったかを持っていたなって。そうか。あれって母さんが父さんにあげたものだったんだ……」

「ミンサー織は地域によって柄などにそれぞれ個性があるんだよ。八重山ミンサーはこの四角の柄が特徴なんだ」

「うん。確かに母さんのも父さんのも、四角があったよ。でもここに来たことあるのかなぁ……」

「那覇でも普通に売っているから、持っていたとしても、お母さんがお父さんにプレゼントしていたとしても不思議じゃないさ」

 そう……不思議でないどころか素敵な意味があるのだ。

「そうか」

「それで、トートバッグはお母さんへのお土産かな?」

「うん。でも予算オーバーだし、トートバッグは母さん持っているから、こっちのポーチにする」

 ランガはポーチを持って、レジへと向かった。

「おまたせ」と紙袋を手にランガが戻ってくる。

「さて、食事してからホテルに帰ろう。八重山で食べる最後のディナーだ。何か食べたいものあるかな」

 ランガは少し首を傾げ、顔を上げる。

「俺、肉がいい」

「では、石垣牛か美崎牛でも食べに行こうか」

「うん」

 その焼肉レストランは評判通りで期待を裏切ることはなかった。

 美味しい美味しいと肉を頬張るランガのまたラブリーなことといったら。そんな彼をじっと見つめてしまうと、そのまま愛之介の箸を持つ手が止まってしまう。ランガにどこか具合でも悪いのかと心配される始末だ。

 ふたりともそれぞれ違う意味で大満足の食事を終え、帰り着いたホテルの部屋でひと息つく。

 愛之介はランガに手提げ紙袋を差し出した。

「はい。これランガくんに……」

「えっと、これって、今日行った店で注文したって言っていた……」

「そう。それは君へのプレゼントだったんだ。東京に帰ってから渡そうと考えていたんだけど、今見てほしくてね。開けてみて」

「うん。ありがとう」

 ランガは包みから商品を取り出した。折りたたまれた細長い布は淡い水色から濃い藍色へとグラデーションを描いている。珊瑚礁の浅瀬から深海へと青は深みを増す。そんなイメージでデザインしてもらった。

 困惑したのかランガは眉を寄せ「えっと……」と言ったきり次の言葉が出てこない。

 ふふふ……と愛之介は小さく笑った。ランガが混乱するのも無理はない。

「それは角帯だよ」

 これもランガに対しての説明になっていないな。〝カクオビ〟などと説明してもランガとしてはちんぷんかんぷんに違いない。

「えっと……これ何に使うもの?」

 まあ、そこからだろう。

「和装——浴衣や着物を着たとき腰に巻く帯なんだ。男性用のね」

 言えば彼はますます困惑した表情を浮かべた。

「帯なら知っているけど、俺、着物なんて持っていないし……」

「もちろん着物はその帯に合わせ別に用意しよう。夏の終わりから秋にかけて祭りや花火大会があるから、ふたりで着物を着て出かけるんだ。素敵だと思わないかい? 八月中だったら浴衣。九月過ぎれば単衣の着物にしよう」

「ひとえ……?」

「単衣とは裏地のついていない着物のことだよ」

「愛抱夢は着物を着て出かけたかった? もしかして俺に着せたかっただけとか」

「両方だよ。もちろん素直なランガくんは、着てくれるよね」と、ぬっと顔を近づければ、彼は若干退き気味になりつつも「わかった」と首を縦に振ってくれた。

「でも、これ……」

 このミンサー織の特徴である四角の模様を熱心に指でなぞりながらランガは「とても綺麗だね」と微笑んだ。

 もともと彼に着物を着てほしくて帯を特注したわけではなかった。この帯をランガにプレゼントしたかった。そっちが先なのだ。そうはいっても帯がある以上、着物も着ないと——という流れになる。

 八重山ミンサーはもともと求婚された女性が男性に、その返事として贈る帯だったという。

 帯に絣で描かれている四角には意味がある。四角の絣が五つ配置された図形と、四つ配置された図形。それが交互に並んでいるというのが八重山ミンサーの特徴だ。五は〝いつ〟と読み、四は〝世〟と読ませ、この二つの図柄が交互に並ぶことで『いつの世までも末永く』という意味に繋がると言われている。

 さらに、縁取りになっているムカデの足みたいなヤシラミ柄は『足繁くおいでください』となり、真っ直ぐの縦筋は『道を踏み外すことなく』だ。

 昔の八重山は男性が女性の家へ通う、通い婚だった。八重山ミンサーの帯は、そんな思いを込めた愛する男性への贈りもの。


 ——いつの世までも末永く、道を踏み外すことなく、足繁く私のもとへと通ってください……