スコール

 主人とその恋人を送り届け走り去る黒塗りのセダンを、律儀にも見えなくなるまで見送っていたランガの肩を抱いて、そろそろ中へ入ろうと促した。

 別荘に到着したあたりで雨はすっかり上がっていて、今は雲の切間から星が煌めいていた。

「あんなに降っていたのに雨、止んだね」

「特に夏の雨は熱帯性のスコールだから、しばらく待てば止んでくれるんだ——あ、滑るから足元に気をつけて」

 愛之介はランガの肩を抱いたまま、門からレンガが敷き詰められた玄関アプローチを並んで歩いた。

 ふとランガが立ち止りキョロキョロとあたりを見回した。

「どうかしたのかな」

「匂いがした。この花のかな……」

 ランガが指さしたのは、薄紅色のふわふわした羽毛のような花だった。

「それはサガリバナだよ」

「サガリバナ……甘い匂いがする」

「この花は、夕方くらいから咲き始め朝には落ちてしまう一夜花だ」

「もったいない」

「朝、この花が敷き詰められている——特に水面に落ちて浮かんでいる眺めも風情があるよ」

 言いながら愛之介は玄関の鍵を開けた。

「どうぞ」

「お邪魔します」

「濡れた服を脱いで先に汗を流してしまおう。スニーカーも乾かさないとね」

「わかった」


 軽くいちゃつきながらふたりでシャワーを浴び、色違いのバスローブを羽織りベッドに並んで腰をかける。冷たい水を口にすれば、やっと一息つくことができた。

「あれ……」と、ランガが立ち上がり、サイドテーブルを覗き込んだ。

「どうかした?」

 見れば、水を張った水盆に薄紅色のサガリバナがぎっしりと浮かべてあった。今夜ここに泊まる主人のために使用人が気を利かせ飾ったらしい。

「ねえ、これって……」

「庭で咲いていたサガリバナを生けてくれたみたいだね。急の連絡だったから花屋に注文する時間もなかったのだろう。気にしなくていいと言ってあったんだが」

「花だけ浮かべるって面白い。なんかいいね」

「その花、気に入ったのかな?」

「初めて見る花で珍しいし――とてもいい匂いだ。さっきは甘いとだけ感じたけど、甘酸っぱさもある」

「ちょっと青臭い——グリーンな感じもあるだろう? サガリバナの花言葉は『幸福が訪れる』だったかな。夕暮れから咲きはじめ朝には落ちてしまう。そんなところから花開いていくサガリバナを見ることができたのは幸せだということらしいんだ」

「愛抱夢、詳しいね」

「前に説明受けたときの受け売りさ」

 朝になりサガリバナの花が落ちて、一面に敷き詰められている様子はなかなか壮観だ。

 サガリバナは池や川などのある水辺に生える木に咲く花であることから、水面にぎっしりと浮かぶこの花を観賞するためのツアーがあるほどだ。

 いつかランガを連れて行きその景色を見せてあげたいと思った。いや、その幻想的な情景の中にランガを立たせて、自分が愛でていたいだけなのかもしれない。

 水盆の花に向かって興味津々な様子でランガは指を伸ばし、ふわふわしとした花をツンツンと突ついていた。ふとバスローブの袖口から白い手首が覗く。その思いがけず女性的で華奢な印象に目を奪われた。

 反射的に背中から覆いかぶさり手首を掴んだ。触れてみれば、しっかりとした骨格の男の手首で、なぜかホッと胸を撫で下ろし、そのまま背後から抱きしめた。

 このサガリバナの甘い香りに幻惑されたのかもしれない。

 ランガは怪訝な表情で首を回した。

「どうかした」

「欲情した」

 首すじに唇を押しつけ、ランガの頭を掴んで横に向かせ口づける。

 バスローブを剥ぎ取り、抱き上げたランガをベッドの上へ落とした。

「うわっ……もう、何するんだよ」

 体をバウンドさせながらランガが文句を言う。

 ベッドに腰をかけ、天井を向いて横たわるランガの額にかかる水色の髪を指でどけた。

 ランガはどの角度から見ても整った顔立ちをしている。

 さらに顔から胸、腹へと視線を下ろしていった。

 この子は繊細で中性的な顔立ちから錯覚してしまいがちだが、しっかりとした骨格と筋肉を持ったアスリートらしい恵まれた肉体の持ち主だ。

 そうやってしばらく眺めていると、焦れたのかランガが愛之介の腕を掴み睨んできた。不満げに眉を寄せ口をへの字に曲げている。

「気分が乗らないのなら今夜はもう寝よう」

「まさか。もちろんやる気はある。少しくらい鑑賞させてくれてもいいだろう」

 ランガは頬を膨らませた。それは妙に幼く見えて思わず苦笑する。

「なにそれ」

 ランガの両脇に手を置いた。ぼんやりとした間接光を集め煌めく青の虹彩。薄明かりの中この瞳が放つ光はむしろ強く——幻想的で美しい。

 その瞳をじっと見つめながら、ゆっくりと顔を近づける。温かい吐息がかかり、やわらかな唇が受けとめてくれた。

 片方の手のひらでランガの脇腹に触れ、そのまま指を滑らせた。すべすべした肌理が心地よい。

 浅い口づけを何度も交わし、さらりとした肌を重ね、お互いの体温を分け合った。ほっとするような安堵感に満たされていく中、やがて口づけや愛撫が先ほどまでとは異なった色を帯びてくる。

 彼の唇を舐めれば口がうっすらと開き、すかさず舌を挿し入れ歯列を割った。ふたつの濡れた舌が絡み合う。

 唇をふさいだまま右手で胸に触れた。弾力にある筋肉の感触を味わいながら指が胸の丘を這う。やがてやわらかい突起に触れ、ランガは息を詰めた。

 首筋にかかる湿り気を帯びた吐息が妙に熱っぽくて、体の芯が疼いた。

 淡い色の乳首はすぐにツンと勃ち上がる。もう片方の胸に唇を寄せ、濡れた舌を這わせた。片方が乾いた指の腹でゆるく擦りながら、もう片方は熱く濡れた舌先で押し潰し強く吸う。それを左右交互に繰り返す。そんなふうに左右の胸だけを執拗に弄んでいた。

「あっ……あ、あん……」

 ランガは甘い声を漏らし愛之介の髪に指を絡め、クシャクシャとかき混ぜながら身を捩った。

 ああ、たまらない。

 もともと乳首の感度がよかったのだろう。それでも、それをさらに開発したのは自分なのだ。この子は今自分のコントロール下——支配下にある。そのことは愛之介の自尊心を満足させ、彼がより愛おしい存在だと認識させてくれた。

 そのまま昇り詰めてしまいそうな様子で喘ぐランガの耳元に愛之介は囁いた。

「挿れていいかな」

 うっすら開いた瞼から潤んだ青い瞳が覗き、愛之介に切なげな表情を向け微かに頷き目を閉じた。


 ランガの体をひっくり返しうつ伏せにして、腰を高く持ち上げた。白い尻たぶを左右に開けば綺麗な珊瑚色の入り口が密やかに息づいていた。

 愛之介はコンドームを被せた指にローションをたっぷり含ませる。その指を慎重に埋め込んでいく。

 愛之介のものを受け入れるには、そこはまだ固く閉ざされていている。愛する人を傷つけてしまわないように、少しずつ指数を増やし角度を変えて慎重にほぐしていった。それと同時に会陰や陰嚢など感じやすい部位を愛撫してやれば、ランガの口からため息のような小さな声が漏れる。

 白い尻に小麦色に焼けた愛之介の指を咥え込み、腰をゆらめかせるランガの姿はは淫らな聖獣のようだった。涼やかな印象だった青い瞳は、今や何も映してはいない。ただこれから与えられるだろう快楽だけを見ている。

「あっ‥‥う、ん‥‥つっ……」

 枕に片頬を押しつけ苦しげな息遣いのランガの下腹部が、ピクピクと引き攣るように波打つのを感じた。それと同時に高く掲げられていた腰がいきなりガクッと崩れる。

「おっと……」と、その腰を愛之介は腕に抱きとめた。

 少し焦らしすぎてしまったかもしれない。

 そのまま力の抜けた肢体を仰向けに横たえた。

「もう欲しくて仕方ないんだね」

 揶揄うように言えば、ランガは焦点の合わない目で、精一杯睨みつけようとした。そんな可愛らしい顔で睨んできてもちっとも怖くないのに。

 軽く唇を合わせてからコンドームの袋を破いた。

 両膝が胸につくまで体重をかける。ランガの中へと己を沈めれば、甲高い鳴き声が薄闇に響いた。

 抵抗する粘膜を押し開き腰を進めた。額に汗が滲み心臓が激しく跳ねる。軽く引いてやると肉の壁が一斉に襲いかかってくる。危うく果てそうになり。それでもなんとか踏みとどまった。

 しばし呼吸を整えながら、愛之介は自分が組み敷いている少年を見下ろした。

 惜しげもなく白い裸身を晒し愛之介のモノを受け入れている。苦しげに眉を寄せ、これ以上声を出すまいと形のいい唇を噛みしめ、それでも抑えきれない鳴き声が響く。大きく上下する白い胸はうっすらと色づきはじめていた。

 そんなランガの姿態を眺めながら、ぐっと腰を押し込んでやれば根もとまですっぽり収まった。

 ランガの中で愛之介のものが肉壁にピッタリと合わさる。ペニスはふわりと包み込まれ、柔らく締めつけられた。そのまま奥で留まり愛之介は目を閉じ熱い内側を味わっている。

 大きく息を吐く気配に愛之介は目を開いた。ふたりの視線が交錯する。

 体をかがめキスをしてから愛之介はゆっくりと腰を動かしていった。

 離れようとしない熱が、確かな快感が、背骨を突き抜けていく。

 優しく愛撫するように、存在を確かめるように抽挿を続ける。中で擦れ合うたびに熱を持った粘膜がピタッと吸いついた。

「ああ……蕩けそうだ」

 耳元で囁いた声は欲情に低く掠れていた。

 長く短く、強く弱く、角度を変えリズムを変え、ときには焦らすように快感の波をコントロールしていく。

 ランガは激しく喘ぎ身悶えた。両手をシーツに投げ出して、愛之介の動きに身を委ねている。

 ほのかな汗のにおいが、ふわりと立ち昇り、それと夜気に漂うサガリバナの芳香が混ざり合い、強く官能を刺激した。

「ああっ、だ、だめっ……もっ…い……」

「ダメじゃない。イったらいいだろう」

 愛之介はランガの腰を両手で掴み引き寄せると、ありったけの思いを込めて腰を叩き込んだ。

「——つっ……」

 しなやかな背中を大きくしならせ、指はシーツをくしゃくしゃに握り締めてランガは絶頂へと昇り詰めていく。愛之介もランガの中で自分のものが熱く脈打つのを感じ、がくりと崩れ落ちた。

 忙しない呼吸が凪いでいく。愛之介はランガの上にのしかかっていた重い体を持ち上げた。下敷きにしていた相手を見れば、痙攣も治ったようでじっと目を閉じたままピクリとも動かない。

 彼の顔をしばし眺めていた。いつ見ても綺麗だと思う。薄明かりの中で見る寝顔は光を纏う天使のようで、ただ見惚れてしまう。

 つい今し方までされていた激しい行為の名残は微塵も感じさせない。あどけない面立ち。まとう空気は清らかで穢れと無縁なそれだった。

 愛之介はランガの横にばたりと仰向けでひっくり返り、間接光に淡く照らされた天井を見た。気怠い。

 変わってしまうのかもしれないという漠然とした恐れがあった。

 抱いてしまったら何か肝心なものが失われてしまうかもしれない。それで躊躇った。しかし、そんなことすべてが杞憂だった。ランガは何も変わらなかった。

 ふと目をやれば、ベッドサイドテーブルの水盆が見えた。サガリバナを浮かべてある水盆だ。

 サガリバナ——一夜花。夜咲き誇り艶やかな芳香を放つ。水面に落ちた姿も美しく楽しませてくれる。

 ランガ——僕の手の中に堕ちた今も、君の清麗な輝きは少しも失ってはいないのだ。