幼馴染み
「おまえの脳みそは類人猿未満のアルディピテクス属だ!」
「な、なんだ! あるでんて……だと?」
「ど阿呆! 一応誉めてやっているんだ。アルディピテクス属は初めて二足歩行を成功させた猿人だからな。猿の頂点だ。あーえらいえらい」
「うるせーな。このインテリ気取りの元ヤンキーめ!」
ふたりのギャアギャア声の合間に、どつきあっているのかボコッという音がときどき聞こえてくる。
「仲悪いな……いや、仲いいのか」
シャドウがあきれてため息落とせば、実也が「そうだね。本当に仲悪かったら目を合わさない。口をきくこともないよね」と笑った。
「あのふたりは幼馴染みなんだよな。確か幼稚園から一緒だったとかだったはずじゃ……」
暦はペットボトルの蓋を開け犬猿組をチラリと見る。ランガも暦に続いてやりあうふたりをに視線を向けた。
「暦はさ、幼馴染みっている?」
「そりゃいるけどさ。幼稚園頃の知り合いなんて、引っ越して今はどこにいるか知らないやつとか、中学まで一緒だったやつも高校は別だから卒業してからずっと会っていない。趣味が同じでない限り年に一度会うか会わないかになるよな。大人になってまで年中顔つき合わせている幼馴染みって珍しいだろうけどさ、誰だって幼馴染みのひとりくらいいるだろう」
「まあいたよね」
実也がプロテインバーを齧り、シャドウは腕を組みうんうんと頷いた。
「ランガ、おまえだってカナダに幼馴染みくらいいただろう。幼稚園児くらいのとき一緒に遊んだようなやつ」
「俺、記憶にない。あえて言えば……父さん」
「おい」
そんな雑談をしていたとき周囲が急にざわめき出した。
ん? と暦、ランガ、実也、シャドウ、そして犬猿コンビがざわつく方へと視線を向けた。
「愛抱夢だ」
「今日来ないって聞いていたけど……」
そんな中、ランガは愛抱夢の元へと走り出していた。
「あいつ、また愛抱夢と滑る気か?」
暦が呆れたように額に指を当てた。
「ん? 僕の幼馴染みかい?」
「そう。スネークって愛抱夢の幼馴染みなのか?」
「忠——スネークは、使用人の父親の手伝いでよく神道家に出入りしていたから、物心ついた頃には顔見知りではあったけど、スケートで一緒に遊ぶようになったのは、小学生のときからだからね。小学生を幼い範疇に入れていいのなら幼馴染みと言える……」
少なくても自分よりは幼馴染みらしき人がいるってことだ。該当する相手がひとりも浮かばないなんて自分だけなのか。だからどうした、という話ではあるのだが。
「でも、ランガくんはなぜそんなことを僕に訊く?」
「うん。ジョーとチェリーが幼馴染みって話から実也もシャドウも暦も幼馴染みがいるのに俺にはいなかったっていうだけ。大した意味はないんだ」
「気にしているの」
「いや、まったく。ただ、世間のことをひとつ知った……くらいかな」
「そうか。それにしても……あのふたり、まだ漫才の真っ最中だね」
ふたりの方へと顔を向ければ、一時停戦中だった口喧嘩が再開されていた。
「愛抱夢はあのふたりと幼馴染みじゃないの?」
「違うね。知り合ったのは高校生のときだよ」
「俺と暦みたいなものか」
「そんな感じかな。しかし、しつこくやり合っているね。……仕方ない。ふたりの仲直りのきっかけを僕が作ってあげよう」
「何をするつもり?」
「まあ見ていなさい」と愛抱夢は通常運転の自信満々な様子で胸を張り、そのままスタスタと犬猿コンビのところに近づいていく。そしてふたりの間に入り、隅の方へと旧友たちを引きずって行った。
何かナイショの話があるのかもしれないが、なんとなく嫌な予感がする。
ランガは三人の姿を遠目で眺めながら、暦たちの元へと戻った。
「おまえ、愛抱夢と滑るんじゃなかったのか?」
「そこまで話がいかなかった」
「は? でジョーとチェリーの三人で何を話しているんだろう。『ビーフだ』とか『んだと』とか『ふざけんな』とか『舐めるんじゃねぇ』とか声がデカくなっている箇所は聞き取れるんだけど……何をやろうとしているんだ」
「さあ……」
ランガは肩をすくめた。あまり考えないことにする。
そうこうしているうちに話がついたらしく、旧友三人組はランガや暦、実也、シャドウのところまでやってきた。
両腕を上で広げ愛抱夢は宣言した。
「これからビーフをはじめる。名付けて『幼馴染み対決』だ」
「へ? なんだそりゃ」
「幼馴染み同士がコンビを組み。二組の幼馴染みが対決する」
「どうやって勝敗決めるんだ?」
「二人三脚の要領だ! 僕の組が勝つかジョーとチェリーのふたり組が勝つかだ。ふたりの息が合っていないと勝てない。もちろんスケートの技量も必要だ」
シャドウが眉を顰めた。
「どう考えてもスケートで二人三脚は無理だろうが」
「安心してくれたまえ。それは僕に考えがある」
「ジョーとチェリーの犬猿コンビはいいとして、愛抱夢は誰と組むんだ?」
ぽつりと暦が疑問を口にすれば——
「スネークだよね。愛抱夢とスネークは幼馴染みだし」
「あー、ランガくん。そうしたいのは山々だが、あいにく忠はキャップマンのチーフとして手が離せない——ということで……」
愛抱夢はパッとA4の用紙をランガの目の前に突きつけた。
「えっと、これは……」
漢字の読みがまだ怪しく困惑顔のランガに代わり暦が音読を始める。
「〈委任状——私、菊池忠(スネーク)は下記のものを代理人として認め、本日◯月◯日のビーフ『幼馴染み対決』の権限を委任いたします。代理人:馳河ランガ(スノー)〉……はい? ってゆーか、これいつ書いたんだよ。ハンコまで押してあるぞ」
「もちろんこの三人の打合せにより、このビーフ開催が決定してからだ」
「嘘こけ! どんなズルしたんだよ」
「失礼だな、君は。ランガくんはわかってくれるよね」
「仕事が早い。さすが愛抱夢だ」
ランガは胸の前でパチパチと小さく拍手をしていた。
「おまえなぁ、納得するなよ!」
「で、俺、滑ればいいわけ?」
「人の話を聞け!」
「理解が早くて嬉しいよ。ランガくん。僕と組んでジョーとチェリーのコンビと勝負することになる。負けても君はペナルティなしだ。勝てば僕がご褒美をあげよう。君は無心で滑ればいいだけなんだ。簡単だろう」
「うん。わかった」
「早まるなよ。ランガ」
「大丈夫だよ。暦」
「それで何を賭けるんだ」とシャドウ。
「……忠からは一日キャップマンをやってもらいたいという希望は聞いているのだが、僕からの要求はこれから考える。まあ賭けは形式的なものだから一杯奢らせるくらいでいいさ」
「それよりルールはどうなっているんだ?」
「いい質問だ。ランガくん。スケート版二人三脚ということで……縄を使う」
「縄をどうするの?」
「腰と腰を結ぶんだ。ある程度の長さがないと滑りにくいからね。一メートルくらいは余裕を持たせよう」
実也が首を傾げた。
「つまり腰でふたりを結びつけ、ふたりの間のロープの長さは一メートルってことだよね。その長さの根拠は何?」
「なんとなくだ」
暦がまたもやランガの前へと身を乗り出した。
「は? いい加減な」
「失礼な。もともと赤毛くんには関係ないことを親切に答えてやったんだ」
「んだとー」
シャドウに肩を掴まれた暦が手足をジタバタさせる。
「暦、落ち着けよ」
実也がチラリとジョーとチェリーの犬猿コンビを見た。
「ジョーもチェリーもやる気あるみたいだね。この状態でみんなどんな滑りをするのか僕もちょっと興味ある。想像つかないや」
最初あれだけ抵抗していたジョーとチェリーだったが、いつの間にかきちんと腰と腰を縄で結んでいて闘志をみなぎらせていた。
キャップマンに扮したスネークが愛抱夢とランガの腰に縄を結んだ。
「ご武運を」
愛抱夢が軽やかなステップを踏みながら高らかに宣言した。
「さあ、どちらの幼馴染みの絆が強いか対決をはじめよう」
結論から先に言っておこう。勝敗はつかなかった。というかどちらの組も完走できなかった。
まずジョー&チェリー組にドローンカメラを向けよう。
ふたりはスタート直後から言い争いを始めた。チェリーが「カーラの指示に従え」と言えば、ジョーは「機械如きに指示されてたまるか。スケートは人間様のノリで滑るものだ」と返し「カーラを機械扱いするな」「だから女の名前で呼ぶな。きめーよ」という調子で口喧嘩はヒートアップしていた。
次に、後を追う愛抱夢&ランガ組にカメラは移る。
喧嘩をはじめたふたりを前方に眺めながらランガと手を繋ぎ余裕の滑りを見せていた愛抱夢は、いきなりランガを引き寄せピタリと体を密着させた。ダンスでもするように。そして主導権を自分のものにした愛抱夢は安定した滑りを見せた。
トラブっているジョー&チェリー組を軽く追い越し、ぐんぐんスピードを上げていった。これなら楽勝かと思われた——そして、カメラはジョー&チェリー組に戻される。
恐らく愛抱夢&ランガ組を見て閃いたのか、ジョーがいきなりチェリーを肩に担いだ。担ぐついでにカーラも忘れなかったのはジョーの気遣いなのだろう。意外に繊細な男なのだ。
「何しやがる」
「協調性のないおまえに俺が合わせて滑るのは無理だ。この方が絶対に速い!」
「他人のせいにするな。おまえの理解力が致命的に欠けているだけだろうが。このゴリラ頭」
「うわっ! このバカ。暴れるな」
その瞬間、スクリーンの映像は愛抱夢&ランガ組に切り替わった。おかげで無様な姿を大スクリーンで晒さないで済んだのは、撮影の指示を出していたスネークによる武士の情けだった。
愛抱夢はランガを抱き寄せさらに体を密着させ耳に口を近づけた。
「無線で忠から連絡があった。残念ながらジョー&チェリー組の息は合わなかったようだね。クラッシュして縄に絡まって喧嘩しているらしい。そもそもアダムとイヴという至高の組み合わせにかなうはずないのさ。あとは僕たちがゴールするだけ……」
「わかった。なら俺は愛抱夢にだって負けない!」
「え?」
「行く!」
「待って、ランガくん。それはルールを誤解して……」
狼狽え叫ぶ愛抱夢の声が響いた。
ランガはコースにある樹木の反動を利用してショートカット……のつもりで突進していったのだが、ふたりを繋ぐ綱はそんなに長くはない。おおかたの予想通りランガの体はすぐに引き戻され反動で愛抱夢にぶつかり、ふたり重なって地面に叩きつけられる。スケートボードだけが木に向かって吹っ飛んでいく様子をカメラが捉えていた。
次の瞬間、大スクリーンの映像が切り替わる。ピースサインをする無駄にご機嫌そうな愛抱夢の似顔絵と「しばらくそのままでお待ちください」のテロップが虚しく表示されていた。
了