お弁当
朝早くから年下の恋人と死ぬほど滑った。時間はあっという間に過ぎ、もう正午近い。おそらく彼のお腹はぺこぺこだろう。夢中で滑っているときは忘れているだろうが、現実に意識を戻す言葉ひとつで自分の空腹具合を自覚することになる。
「ランガくん、ずっと食べていないけど、お腹空いてない?」
「あ……」
ランガはお腹に手を当て、今気がついたというように目を見開き愛之介を見た。
「あと二十分くらい我慢できそうかな? 今日予定にしていた店にはそのくらいで着くとは思うけど」
ランガはぶんぶんぶんと首を横に振った。
「無理……もう死にそう」
愛之介は苦笑いを浮かべた。
「じゃあこの辺りで何か調達しようか」
「お願い」
「そうだね」
さてと……愛之介は顎に指を当てこの辺りにありそうな店を思い出そうとした。しかしこれといって知っている飲食店はない。
「そういえば君は沖縄の弁当を食べたことある? ああ、手作りではなくて弁当屋さんのお弁当だ」
「ないけど」
まあ、そりゃそうだ。友達と間食的に食べるのならラーメンやハンバーガーのほうが手軽だ。
「安くてボリュームがあるんだ。見た目は何かごちゃごちゃしていて美しさはないけどね。味は悪くないと思うよ。話の種に一度食べてみる?」
「うん」
「それならこの近くに弁当屋があるからそこで買って公園で食べようか」
ランガは思いっきり首を縦に振った。何かお腹に入れられるのなら、なるべく早い方がいいってことか。
弁当屋でふたり分の弁当と、それだけでは足りないだろうランガのために追加の惣菜やお茶などを買った。
海辺の公園にあるあずま家で弁当を食べることにする。暑さや直射日光に弱いランガにとって日陰で休めることが一番だ。柱と屋根だけで中にテーブルと椅子があるあずま家は風通しも良く過ごしやすい。
弁当を広げればランガは目を丸くした。
鳥の唐揚げ、魚のフライ、にんじんしりしり、青菜、らふてー、たまご。
良く言えば素朴。悪く言えば雑。色々なものを彩など考えずに適当にぎっしりと詰め込んだ印象だ。
ランガの目にはどう映るのか。
「いただきます」
ぱく。ランガは唐揚げを口の中に放り込んだ。もぐもぐと咀嚼して飲み込む。次にご飯をパクリ、もぐもぐ、ごくり。さらに別のおかずへ箸が向かう。それを繰り返している。
「どうかな?」
「おいしい」
「味噌汁もあるよ」
この子は本当によく食べる。大食いなのだが、がっつくという感じではなく、ゆっくり咀嚼しながら食べるのだ。その姿は草食動物ののんびりとした食事風景を思わせる。
思わず目尻が下がり頬が緩む。
いつどのようなシーンであっても、どのような風景の中にいてもランガは絵になるのだ。こんな風に何気ない食事風景であったとしても、ずっと見て愛でていたい。そう思わせてくれるほどに。
幸せを噛み締めてしまう。
何故なら、こうして彼を眺めているだけで心穏やかになり、ここは満ち足りた世界になってくれる。生産的な要素など何ひとつないのだけれど、明日明後日ずっと続く未来への活力につながってくれることは間違いない。結果、自分の政治活動に関する効率が爆上がりするのなら、ランガというイヴこそが神道愛之介の人生において何よりも重要だ。当然それは国民のためにもなるのだ。大袈裟ではなく。
都会の喧騒の中、強力な権力のパイプやバックを持つ狡猾な古狸どもとのバトル――もとい、そこまでいかず、ただひたすらどうやって丸め込んでやろうかとか、あわよくば足を掬ってやろうかと、頭をフル回転させ何もかもがギリギリの精神状態で、ガリガリと神経を削られている日常なのだ。政務に追われストレスにさらされた日々は、一生かかっても回復することはかなわない――そう絶望してしまいたくなるほどの消耗させられるのだ。
それがどうだろう。彼の顔を見たその一瞬で何もかもが吹っ飛んでしまう。ランガは自分の癒しだ。国に尽くす自分の力が数倍……いや数千倍にしてくれるランガは国の宝といってもいい。やはりランガが神道愛之介のイヴでいてくれることは国民のためになる。
もちろんそんなことを口にすれば「神道愛之介議員は頭がおかしくなった」と言われるだろうことは目に見えている。なので心の中でそっと思うだけにしていた。その程度の分別は持ち合わせている。
ランガの存在は、それほどまで大きく今や自分の人生に欠かせないものとなっていた。
「ねえ……食べないの」
ランガの声に自分の弁当を見れば、ほとんど減っていない。最初に一口食べてからずっとランガの食べる姿にただ見惚れていた。
「食べているランガくんがあまりにもラブリーで、うっかり自分が食べるの忘れていた」
「何それ。もう、ちゃんと食べてよ。俺が食べていると気が散って食べられないっていうのなら、愛抱夢が食べるまで俺、食べないから」
ランガは割り箸を弁当の上に置きギロリと睨んできた。いや……君の弁当はほとんど残っていないように見えるのだが。まあいいだろう。
「わかったよ」
再び割り箸で弁当のおかずをつまみ口に入れた。ついでに追加で買った惣菜とばくだんおにぎりを彼の前に押してやる。
「ちゃんと食べるから、ランガくんは、こっちを食べていて」
愛之介が箸を動かすことに安心したのかランガは、ほっとしたような笑みを見せ、ばくだんを一個つかみ頬張った。
了