さくらんぼ

 那覇にある公園を愛抱夢とふたり並んで散策していた。

 寒くも暑くもなく、陽射しは南国沖縄らしく三月にしては異様に強いと感じる。それでも今のシーズンは、もしかすると一番春らしいのかもしれない。

 三月といえばカナダでは月末くらいからメープル樹液採集が始まる。夜の気温がマイナス、昼間の気温がプラスになると地中から大量の雪解け水を取り入れ、夜溜めておくことができなかった樹液が溢れ出す。それがメープルウォーターだ。採取して煮詰めるといわゆるメープルシロップになる。そして産地ではメープル祭りが開催されれる。それは春の訪れを告げるイベントだ。

 春といっても、夜の気温は氷点下まで冷え込んだりもする。それでも徐々に日差しは力強さを増し、春を強く感じさせてくれる——って、それを考えると沖縄は真冬だって氷点下になったりはしないどころか滅多に気温が一桁まで下がることもない。それなのに暦たち沖縄の人たちは「寒い寒い」と大騒ぎをする。

 そういえば、この公園では一番寒い時期の二月に桜祭りが開催されていた。あれだけ鮮やかに咲き誇っていた濃いピンクの桜はもちろん全て散っていて、その代わり今は緑色の葉が茂っている。

 ふとその梢や葉の隙間から赤い実が無数に見えていることに気がついた。思わず隣を歩く愛抱夢の腕を掴み引き留め、指を差す。

「愛抱夢、あれ」

「ん?」

「あの赤い実、さくらんぼかな? それにしては小さいけど」

 カナダでも季節になるとさくらんぼが店頭に並ぶがあんなに小さくはない。もっと大粒だ。

「ああ、カンヒザクラの実だね」

「へえ、食べられる?」

「食べられないことはないけど、あまり食べる人いないかな」

「おいしくないの?」

「少なくても今くらいの赤さだと渋くて酸っぱい。もっと黒くなるまで熟せば食べられるけど、そうなる前に鳥が食べちゃうよ。それに小さいだろう。あまり食べ応えがないからね。せいぜいジャムにしたりさくらんぼ酒を作ったりする人がいるくらいだよ」

「よく知っているね。もしかして食べたことあるとか」

「子供の頃にね。庭に一本植えられているんだ。それでこっそり。ほらなんか美味しそうに見えるだろう。でも完全に熟していなかったせいもあって、とにかく渋いし酸っぱいしで思わず吐き出したよ。それで懲りた」

 ランガはくすりと笑う。愛抱夢のそういう子供らしいエピソードを聞くと少し安心する。愛抱夢は自分から積極的に子供時代の話をすることはないけれど、たまに何かきっかけがあれば、そういった話をしてくれたりする。今まで聞かせてもらった切れ切れの情報から少しずつ愛抱夢の子供の頃の様子が浮かび上がってくる。そんなたわいもないことが、なぜか嬉しかった。

 子供の頃の愛抱夢を知りたければ、幼なじみだというスネークに訊けば教えてくれるだろうけど、それは少し違うような気がした。

「さくらんぼだったからまだいいけど、俺はなんか知らない赤い実が美味しそうに見えて、口に入れたら父さんと母さんにこっ酷く叱られた記憶があるな。食べちゃいけないものだったらしい。中には毒のあるものもあるから美味しそうに見えても絶対に食べないようにきつく言われた」

「ははは。それは流石に危ないよ。さくらんぼは庭師の菊池——忠の父親だ——が、放置して実が落ちると庭が汚れるからって、取り除いてまとめて持ち帰っていたみたいだから訊いてみたんだ。そうしたら、食べるのではなくさくらんぼ酒を作るんだって教えてくれたんだ」

「へえ。どんな味がするんだろう」

「さあ、僕も飲んだことないからわからないけど。今でも作っているみたいだから君が二十歳になったら少し分けてもらおうか。一緒に乾杯しよう」

「いいね。なんか話していたらさくらんぼ食べたくなった。カナダはさくらんぼもたくさん採れるからよく食べたんだ」

「そうか。では、すぐに——と言いたいところだけど、日本でさくらんぼは六月くらいにならないと出回らないんだ。さくらんぼの産地は山形県だ。季節になったら最高のさくらんぼをご馳走しよう」

「うん。楽しみにしている。それとさ、お願いがあるんだ」

「お願い?」

「もし嫌でなければでいいんだけど。愛抱夢の子供の頃の写真が見たい」

 愛抱夢は「ん?」と怪訝な顔をしてランガを見た。

「別にかまわないけど、そんなに見たいの」

「見たい。だって、愛抱夢は俺の子供の頃の写真が見たい——どころか欲しいとか言っていたから、あげたのに、俺は見せてもらってないなって」

「わかったよ。探しておこう」

 子供のころの写真を見せてもらえば、小さな愛抱夢をもっとはっきりイメージできると思う。それは愛抱夢をより知ることができるだろうし、そうすればより身近に感じられるようになる気がする。そう考えるとなんかワクワクドキドキする。

 愛抱夢の数歩先を歩いていたランガはくるりと振り返り「楽しみにしている!」と嬉しそうな笑顔を見せた。