隣りに居るのに……

 教室、バイト、そして一緒に滑るスケート。あいつはいつも隣にいる。大切なスケート友達。親友だと思っている。それこそあいつが言っていたように、無限にあいつと滑っていたい。

 でもたまにあいつが何を考えているのかわからなくなる。いや何を考えているのかわからないというのは最初からそうだったが、たまにこっちの想像を遥か斜め上を吹っ飛んでいくようなことをやらかして、面食らい呆然と立ちすくんでしまうことがある。

 そんなとき、あいつは振り返り、ついて行けなくなっている俺を見て不思議そうな表情で首を傾げるのだ。


 その日は、カウンター席で、ずずず……とひとりラーメンをすすっていた。

「よお、暦」かけられた声に顔を上げると、よく知った筋肉スケーターが「ここいいか?」と隣席を指差した。

「ジョー?」

「ん? 相棒は一緒じゃないのか」

 相棒とはもちろんランガのことだ。

「あいつさ先約があるんだってさ」

「へえ。珍しいな」

「最近そーでもねーよ」

「そうなのか?」

「いや、そんなにしょっちゅうじゃないと思うけど。ランガは先約を優先するんだ」

「それは常識だろう」

「そうなんだけど、ここのところその頻度が上がっていてさ。昔は当日いきなり誘っても余裕で、先約があるなんて断られることはなかったのに。最近はポチポチそういったことが増えているんだ」

「なるほどな。あのコミュ障ぎみのランガの交遊範囲が広がったのは、いいことだと思ってやれよ」

 ジョーの前にラーメンが置かれる。

「そう思いたいけど、相手があのヤローだと思うとそうも思えなくて」

 パキッと割り箸を左右に割る音が聞こえた。

「あのヤローって——愛抱夢か」

「うん」と暦はうなずき「俺、食い終わったから出るよ」と最後に残ったスープを飲み終え、席から立ち上がる。ラーメン店は食い終わったらすぐに店を出るのがマナーだ。ジョーに少しこぼしたくらいではまだモヤモヤが消えないけど、それでも話せて良かった。そんな暦にジョーはラーメンを食べながら言った。

「暦。俺もすぐに食い終わるから、店の前で少し待ってろ。うちの店のでよかったらコーヒー奢ってやる。ついでに話を聞いてやる。まだ話し足りねーんだろ」

 ジョーからの提案は正直ありがたかった。誰にでも相談できるようなことではない。いつもさりげなく気にかけてくれているジョーなら、なんか話しやすい。

 スマホをいじりながら店の前で待っているとドアが開く音と同時に「待たせたな」とジョーの声がした。

(いや、全然待っていねーし。食べるの速っ!)


 休憩時間中のSia la luce (シアラルーチェ)。客はいない。暦の前にアイスコーヒーのグラスが置かれた。

「そういえば、先日のSだけど俺たちが帰ったあとに一騒動あったんだって? 愛抱夢がランガを箱詰にしてハート模様の包装紙でラッピングした上にリボンを巻いてお持ち帰りした——と噂になっていたぞ」

「なんだよそれ! 箱詰めとか包装紙でのラッピングなんてしてねーし。ただ腰に赤いリボンを巻いて肩に担いで連れていっただけだ」

「ははは……まあ伝言ゲームだから尾鰭がつくのはお約束だ。——それでランガは嫌がっていなかったんだな」

「そうなんだ。あいつ、愛抱夢がどんなに突飛な行動をしたとしても、理由は必ずあるから話を聞くって主張するんだ。俺には心配するなって。まったく何考えているのやら」

「なるほどね。ランガらしいな。で、その後ランガから報告は受けたんだろ」

「まあな。愛抱夢の誕生日だったらしい。だから赤いリボンだったって言うんだ。意味わかんねーだろ。ランガはわかったらしく納得したって言っていた」

「どう理解できたってランガは説明したんだ?」

「それが、あいつ話すのあまり上手くないだろう。だから何を言ってっかよくわからなかったし。いずれにしろ誕生日だからって体にリボン巻かれて攫われたこと、すんなり受け入れちゃうランガってなんなんだよ」

「やはりランガはランガだ。動じないやつだな」愉快そうにジョーは笑う。

「笑えねぇよ」

「だからといって何もなかったんだろう?」

「うん。愛抱夢の家で風呂に入ってすぐに寝たって言っていた。寝室は別だったって。起きて一緒に飯食ったりスケートをしただけだって」

「ふたりは似たもの同士だな。波長が近いというのか」

「天才同士だけで通じる何かがあるっていうのかよ。俺にはあいつらの頭の中なんてサッパリわかんねー」

 暦は頭をかかえうめく。

「なあ暦。ランガのこと心配か?」

「そりゃ、もしかしてなんか間違いがあって、あいつが傷ついたり、それがきっかけでスケートが楽しくなくなって最悪滑るのやめちゃったりしたらどうしようとか」

 ブツブツ言いながら暦は口を尖らせた。

「あいつに限ってそんな心配あるか。ランガは肝が据わっていて度胸もあるし鈍感だ。何より攻撃的だ——おまえよりずっと逞しい」

「そうなのかな」

「だから心配ないって」

「だったらいいけど」

「ランガより暦のほうがよほど繊細だと俺は思っているぜ」

「俺が?」

「おまえは面倒見が良くて優しいからな。だからランガも実也も暦のこと、慕っているんだよ」

「何だよそれ。面と向かって言われると……なんか小っ恥ずかしいな」

「確かに俺たち不良スケーターのガラでもねえよな。それとプライベートについて全てを打ち明けなければ親友ではない——なんてことはないぞ。ランガを信じてやれ。ランガが無条件でおまえを信じているようにな。親友のおまえにできることはそれだけだ。心配して聞き出そうとしたり保護者ヅラして忠告したりすることじゃない」

「そうか……」

「大丈夫だ。おまえたちなら。俺が保証しよう。このシックスパックに誓ってやってもいい」

 ジョーはグイッと腹を張った。

「なんだよ、それ」

 思わず吹き出していた。ふと気づけば心が軽い。暦はきつく目を閉じ拳で自分のこめかみをグリグリと押した。

(あーだめだ、俺。なんてあいつを信じてやれなかったんだろう)

 ランガとはトーナメント戦開幕直前に喧嘩をした。あれは暦が一方的に拗ねていただけで喧嘩ともいえなかったかもしれない。才能の差に嫉妬したというのもあるだろう。しかしそれ以上に、愛抱夢のスケートに傾倒していくランガが、遠いところに行ってしまい自分とはもう滑りたいとは思わなくなるかもしれない——そんな不安にとらわれていた。

 そんな暦にランガは言った。

 ——俺、無限に暦とスケートしたい。暦は俺にスケートが楽しいって教えてくれた。俺の先生なんだ。

 いつも言葉が足りないくせにやたら饒舌だった。今ならわかる。ランガは思いの丈を一生懸命ぶつけてきたのだ。あのときのランガの言葉。今思い出しても顔が熱くなる。

 なら俺が信じてやるっきゃないだろう。おまえはゼッテーに、俺のそばからいなくならないと。