片思い

 本土では寛永年間の頃、今から四百年近く昔のことです。琉球本島の小さな村に、ある母子が引越してきました。母は雪国である加奈陀に嫁いでいたのですが、夫が亡くなり一人息子を連れてふるさとの村へと帰ってきていたのです。息子の名はランガといいます。ランガは大好きな父親がいなくなり心を閉ざしていたのですが、母の生まれ故郷で思いがけない出会いをすることになります。

 それは母親から用事をたのまれての帰り道、登り坂に差し掛かってのことでした。すごい勢いで板切れがこちらに向かって滑り降りてきました。

「わあ、止まれ!」と大声を張り上げ赤毛の少年が、その板を追いかけ突進してきます。

 ランガは反射的に板を止め拾い上げました。

「これ?」と赤毛の少年に手渡します。

 その赤毛の少年はランガと同じ年頃に見えました。

「おお! ありがと」

「うん」

 ランガの顔を赤毛の少年はしげしげと見つめます。ランガはこの辺りでは見かけない水色の髪に青い瞳。そして何より透き通るように白い肌を持った少年でした。当然、村中の噂になります。

「あれ? おまえ、最近引っ越してきたやつだよな。それにしては外で見かけなかったけど具合でも悪かったのか? それとも引きこもり?」

「そういうわけじゃ……」

「あ、よけいなこと訊いて悪い。俺さレキっていうんだ。おまえは?」

「ランガ」

「そうか、よろしくな、ランガ」

 ランガは会話の間も手渡した板をじっと見つめていました。なぜかとても懐かしい気持ちになります。ランガの視線に気づいたレキが説明します。

「それさスケボーだ」

 そのスケボーというものには車輪がついていて、それで滑っていくようでした。ランガは似たようなもので雪の上を滑って遊んだことを思い出します。それは大好きな父親といつも一緒でした。

「なあ、興味あるのなら俺、おまえ用のスケボー作ってやるよ」

「え? 作れるの?」

「ああ、まだ修行中だけどな」

「すごいな」

「だからさ、一緒にスケートやろうぜ! ふたりで滑った方が何倍も楽しい!」

 約束どおりレキはスケボーをランガに作ってくれました。そして楽しい日々がはじまります。ランガの表情に笑顔が戻ってきました。

 スケートというものはランガが雪の国で遊んだスノーボードと少し似ていてやはり違います。それでもあっという間に上達したランガにとってスケートはなくてはならないものになりました。

 それと同様にレキもランガにとってとても大切な存在です。ランガには友達がいませんでした。もともと山奥に暮らしていて同い年くらいの子供は見かけないような土地で、さらに父が好き過ぎるランガは、友達を作る必要なんてなかったのです。ですからレキはランガにとってはじめての友人でした。スケートと親友。かけがいのないものをランガはこの村で手に入れたのです。

 さて、ふたりが出会って一年ほど経ったころでしょうか、レキがランガに打ち明けます。

「なあ、ランガ」

「何? レキ」

「俺さ、今度、首里のはずれにある寺へ行くことになった」

「それはお坊さんになるってこと?」

「そういうのではなくて、学問をちゃんとやれっておかあとおとうに言われた。小僧の真似事というか雑用を授業料にして勉強させてもらうんだ。そうしたら首里で役人になれるかもしれないってさ」

 ランガはうつむきます。それはレキの将来についてとても良いことでした。それでも、とても寂しいことだと思えたからです。

「あ、心配するなよ。そんな遠いわけじゃないから、ちょくちょく戻ってくるからさ。それとさ、ここだけの話その寺の住職って」

 そこまで言ってレキはニヤリと笑いました。

「スケートが好きらしい。だから学問は苦手だけど我慢してきちんと勉強すれば毎日スケートやらせてもらえるんだ。だからさおまえも俺がいなくなったからって下手くそになったりするなよ」

「大丈夫だよ」

 その気になればいつでも会えるのです。もう子供ではないふたりなのですから、頼らずひとりでなんでもできるようになろうと誓い合います。

 さて、レキが寺へ行ってから一週間ほど経ったある日、今度はランガがこの村を離れることになる話がきます。村に美貌の少年がいるという噂を聞きつけたある士族がランガを召抱えたいと言い出したのです。もっとも表向きの理由は、ランガが異国の言葉も話すことができるということで通訳として仕事をさせたいとのことでした。とても身分の高い人でしたので平民であるランガの母が断ることはできません。それでも母の生活を援助してくれるという条件にランガは喜びました。しかもレキのいる寺も首里にあります。なら願ってもないことです。

 出発の日になりました。荷物はさほど多くはありません。ランガは鮮やかな紅型染めの振袖を着せられました。不思議に思ってランガは尋ねます。

「母さん、これ女の子用では?」

「この衣装はマジムンからあなたを守るためのものよ。奉公先の旦那様が届けてくださったの。ひとりで首里までの道を行くのですから我慢してね。動きやすいようにはしてあるから」

 マジムンとは魔物のことです。この土地では魔除けとして少年に少女の装いをさせるという風習があるのです。ですから女装束の少年がひとりで道中歩いていたとしても誰も女だと勘違いすることはありません。たぶんですが。

 普段の着物も奉公先で用意してくれるとのこと、荷物はスケボーひとつだけでした。最後に花飾りのついた笠と杖も渡され「道中気をつけて」と母は奉公先へ向かう息子の安全を祈り、その後ろ姿が見えなくなるまで見送りました。

 首里までランガはひとりで行かなければなりません。それほど危険な道ではありませんので通常ならば大丈夫なはずです。道に迷いさえしなければですが。いくらなんでもこんな一本道、迷うことなどないでしょう——なんてことは、どこかぼんやりとしているランガの性質を考えればとても見立てが甘かったのです。

 案の定、ランガは道に迷いました。

 もっとも、それは仕方のないことでした。だってウィールの鳴る音がかすかに聞こえてきたのですから。気のせいかもしれないと思いつつ、音を頼りにランガは走り出してしまいます。そして山道へと迷い込み自分がどこにいるのかわからなくなってしまったのです。

 あたりはどんどん暗くなっていきます。

 どのくらい走り回ったでしょうか。気がつけばウィールの振動音はもう聞こえてきません。

 困ったなとランガはあたりを見回します。すっかり迷子になってしまったようで、ここはどこなのか皆目見当がつきません。当初の予定では夕方——おそらく今頃は首里に到着しているはずでした。しかも今のランガは空腹で倒れそうで、これ以上歩くのは無理です。

 そのときランガの目が灯りをとらえたのです。それは小さな小屋でした。

 ランガは戸を叩きました。ここに一晩の宿を求めよう。それが無理ならばせめてここで道を尋ねるしかないでしょう。

「すみません。開けてください。この山で迷ってしまいました。朝までなんとか泊めてもらえませんか」

 戸が開き、蝋燭を手にしたたいそう背の高い男が立っていたのです。なぜか目の周りを怪しい仮面で覆っています。それはまるで素顔を見られたくないかのようでした。

 男の口端がクイっと上がります。

 笑った?

「ようこそランガくん」

 え? と不思議に思い眉を寄せじっと仮面の奥に見える目を見つめます。どうして名前を知っているのでしょう。

「俺のこと知っているの?」

「君は有名人だからね。僕の名は愛抱夢だ」

 男はランガを屋内へと招き入れ座るよう促します。

「はあ」

「お腹も空いだだろう。食事は用意できているよ」

 とても美味しそうなにおいが漂ってきます。しかも、まるでランガがここへ来ることを予め知っていたかのように配膳されていました。

 いくつか訊いておきたい疑問点もありましたが、とりあえず空腹を満たすことを優先しました。ランガは夢中で食事を平らげます。

「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」

 食べ終え礼を言うランガに愛抱夢は「どういたしまして」と返します。そこで先ほど、つい訊きそびれた疑問を質問してみることにしました。

「あの、それでさっき言っていた俺が有名人って?」

「噂は流れてくる。とてもきれいな子があの村にいるとね。ああ確かにランガくんは美しいよ。でも僕はそんなことより、君のスケートだ」

「スケート?」

「すばらしいよ! 君の滑りを見かけて、僕はすっかり君のスケートの虜になった。それが、こうして僕のところへわざわざ訪ねてきてくれるなんて、これも何かの運命だ」

(いや道に迷っただけなんだけど、まあいいか)

 お腹が満たされれば眠くなります。今日は山道で迷いさんざん走り回ったせいで、くたくたでした。瞼が落ちかけたランガに愛抱夢はもう休むようにと、すすめてきます。首里はもうすぐそこだと教えてくれました。明日の朝出発すれば十分でしょう。

 もともとランガは眠りが深いほうです。ちょっとやそっとの物音で目を覚ますなんてことはありません。ですが、そのときはいつもと違う寝床だったせいでしょう。誰かがそばにいる気配にうっすら目を開けます。枕元に仮面の男が座っていました。そう愛抱夢です。面食らい、何の用かと訊く前に彼が口を開きます。

「起こしちゃったかな?」

「え? あの——何か用ですか?」

「ああ夜這いに来たんだ」

 男はなんでもないことのようにさらっと言いました。ランガは色恋というものには奥手でしたが、まったくの無知というわけではありませんでしたので夜這いという言葉は知っていました。けれど恋なんてしたことはありません。何より愛抱夢とはついさっき会ったばかりです。それなのにいきなり夜這いとはどういうことでしょう。

 ランガは一気に目が覚めてしまいガバッと起き上がります。見れば、外は白みはじめていています。立ち上がり、迫ってくる愛抱夢から逃げるように後退ります。愛抱夢は芝居がかった仕草で両腕を広げました。

「君となら一緒にイクことができると思うんだ。さあ行こうふたりだけの世界へ……」

 夜這いとイク——間違いなくヤバイ話だ。逃げないと——とさらに後ろへ下がろうとしたとき何かに足を取られ尻餅をついてしまいます。しまった。こうなったら愛抱夢を蹴り飛ばしてでも——と思ったそのとき目の前のものに目が釘づけになります。

 スケボー……?


 ——朝が待ち遠しくてね夜明け前に目が覚めてしまったよ。さあ、ここから首里までふたりで滑ろう!


 ランガの前を滑って行く愛抱夢はとても速くついて行くことも大変です。それでも胸が激しく鳴りました。こんなにドキドキしたのは久しぶりです。レキが寺へ行ってしまって以来のことでしょうか。やはりスケートは誰かと一緒に滑るのが一番です。

 ああ、今ここにレキがいないことがとても残念です。レキも一緒だったたらどれほど楽しかったでしょう。

 などということを考えていたとき、寺院が見えてきました。間違いありません。レキが奉公している寺です。

 親友があそこにいるんだ! そう思ったランガは、深く考えずに横道に逸れ境内へと飛び込んでしまいました。そしていきなり庭を掃くレキと遭遇したのです。レキは大きな目をまん丸にしてランガを見ました。

「レキ!」

「ランガか? どうしたおまえ?」

 ふたりは抱き合い思いがけない再会を喜びます。

 そこへ、なんだなんだと寺の者たちがぞろぞろと集まってきました。

 ジョーと名乗る大柄な男が、ランガの頭のてっぺんから足のつま先までジロリと見ます。

「そうか。おまえが評判のランガか。噂は聞いているぞ」

 そして、ここにはスケーターしかいないのだから、敬称は無しでと皆を紹介してくれました。

 レキと同じように寺で雑用しながら勉強しているミヤと庭師のシャドウ。レキの学問の先生であるチェリー。彼はもちろん寺の住職です。そして宮廷料理人のジョーは、ちょくちょくサボっては山で狩りをしたり仕掛けた罠を確認するついでにチェリーをからかいにくるそうです。賑やかな寺で楽しそうに過ごしているレキにほっと安心しました。

 ランガからこれまでの経緯について一通りの説明を聞き終えたチェリーが「それなら一緒に滑っていた愛抱夢はどうした?」と尋ねました。

 ランガの心臓がドキンと強く跳ねます。すっかり忘れていました。

「前を滑っていたから俺がいなくなるの気づくの遅れるかも」

「一つ確認だが、おまえの奉公先の士族の名はなんというのだ?」

「えっと、しんどう……神道とか言っていたような?」

「それを聞いてジョーとチェリーが何か腑に落ちた様子で「なるほどな」とうなずきました。

「黙って俺がいなくなって愛抱夢、怒るかな?」

「かもな」ジョーが腕を組み盛大に息を吐きました。

「ど、どうしよう」

 そのとき、大声が寺門から聞こえてきました。

「ランガくん、ランガくんどこだ!? 君まで僕のそばからいなくなるのか!」

「来やがったな」

「レキ、ミヤ、シャドウ。明日吊り下げる予定になっている鐘があるだろう。そこにランガを隠せ。それまでに俺たちは愛抱夢を落ち着かせる」

 チェリーが指示を出しました。

「わかった」

 三人に鐘が置かれている奥の間に案内されます。その鐘をシャドウとレキがが持ち上げ、その中にランガは隠れました。暗いし狭いしで、あまり居心地は良くありませんが少しの辛抱です。

 近づく怒声や足音が鐘の中にまで聞こえてきます。

「ランガくんが消えるとしたらこの寺しか考えられないだろう」

「いや、だから落ち着けよ、愛抱夢」

「チェリー、ジョー、そこを退け! ランガくん、どこだ? どこにいる?」

 興奮した声が聞こえます。どうやら落ち着かせる作戦は全くうまくいっていないようでした。

 やがて鐘の置いてある部屋にたどり着いた愛抱夢は、鐘を護るようにわざとらしくぐるりと囲む三人を睨めつけました。

 そしてレキに視線を合わせ「そこの赤毛。ランガくんはどこにいる? 隠すとためにならないぞ」と静かに強い圧力をかけます。

 その迫力に気圧されたレキが「隠してません。鐘の中になんてランガはいません!」とポロリと口を滑らせてしまいます。

 ——あのバカ!!

 ミヤ、シャドウ、チェリー、ジョーが同時に頭を抱えました。

 レキがバラしてくれた以上、鐘の中に隠れ続けることは得策だとは思えませんでした。ランガは鐘の中からコンコンと音を鳴らし「出して」と言いました。シャドウが持ち上げた鐘の中からランガが這い出そうとします。そこへ愛抱夢は駆け寄って、ランガを引き摺り出し「かわいそうに。こんなところに閉じ込められて。大丈夫だった? 怪我はないかい?」と、ぎゅっと抱きしめました。

「ごめんなさい。滑っていたらこの寺があってここに親友がいたこと思い出して、会いたくなったんだ。道に迷って困っていた俺を泊めてくれるだけじゃなくてご飯も食べさせてくれたのに……俺って恩知らずだよね」

 罪悪感にランガは目を伏せました。

「ああ、気にしなくていいよ。僕はいきなり君がいなくなって心配しただけだから」

 などというふたりのやりとりに、ジョーもチェリーも大慌てしたことがバカバカしくなりました。そこへ小僧が部屋へと入ってきてチェリーに何かを伝えます。

「おい、ランガ。おまえの奉公先から迎えがきたぞ。到着が遅いことでもしかしてとここを尋ねてきたらしい」

 迎えの男は「キクチ」と名乗りました。キクチの家は、代々神道家に仕えているのだと説明されました。愛抱夢はキクチとも顔見知りだったようで「安全に送り届けてくれ」と一言声をかけます。それに対してキクチはごく小さな声で「かしこまりました。愛之介様」と応えたのですが、小さすぎる声はランガの耳に届きませんでした。

「愛抱夢。また一緒に滑れる?」

 無邪気にランガは訊きます

「もちろん滑れるよ。それもすぐにね」

 にっこり笑う愛抱夢にランガは手を振って、キクチと一緒に奉公先へと向かいました。

「とんだ茶番だな」ボソリとジョーがこぼせば「まったくだ」とチェリーが大きな溜息をひとつ落とします。

 そうです。ふたりは今夜にも再開できるのですから。


「——という話なんだ」

 話し終えた愛之介に、ランガは困惑した表情を向けた。

「からかっている? いくら俺が無知だからって、そんなデタラメ信じるわけないだろう」

 それは先日観たフラメンコと琉球舞踏の演目「執心鐘入」のストーリーを知りたいというランガのために、軽く説明をしたときだった。

「君にも理解しやすいよう、君の知っている人たちで配役して現代風にアレンジしてみたんだけど、わかりにくかった?」

「それ以前の問題だよ。だいたい今から四百年近く昔にスケートなんてあるわけないだろ。あとカナダが出てくるけど、カナダなんて建国前だよ?」

「ごもっとも。きちんとした話が知りたければ、自分で調べてごらん」

「やっぱりテキトーだったんだ」

「ははは。ただ一つ。少年が道に迷い宿を求めた小屋にいたのは女だったんだ。その女は少年に一目惚れしてしまい、夜這いをかけようとする。少年は恐れて逃げ出し、寺に助けを求めた。寺では少年を鐘の中へとかくまう。寺にたどり着いた女は執着のあまり鬼と化し、寺の僧侶により退治されるって話なんだよ。本土にも似た話があってね。清姫安珍伝説っていう。その物語をもとに能、人形浄瑠璃、歌舞伎と舞台が作られている。この執心鐘入もおそらくその影響を受けた創作だろうとか、もともと琉球の民話に似た話があったとも説は色々あるけどね。結末は微妙に違っている。本土の清姫安珍伝説だと女が蛇に化して鐘に巻きつき男を焼き殺してしまう。それから自分も川に身を投げ後を追うんだ。強い思いは受け入れられず、恋が成就できないのなら、ともに死のうとする——そんな激しい恋の末路だ」

「なんだか救われない話なんだね」

 救われないか。自分もそうなっていたかもしれない。あのとき、何かひとつでも違えれば、そんな結末を迎えていたのだろう。でも、ランガは執心鐘入の少年のように、愛之介を拒絶したことは一度もなかったのだ。

 愛之介はランガの頬を撫でる。

「今は、君がここに、こうしていてくれる。だから救われない愛抱夢をイメージすることなんて僕にはできなかった。それで語っていくうちにあんな変な話になったんだ。不満だったかな?」

 ランガは愛之介の指に自分の手を重ね「ぜんぜん」とほほ笑んだ。