それは〈Sia la luce〉の営業時間外でのこと。なんとなくいつものメンバーが集まっていた。ついでだからとジョーが新作パスタの試食をさせてくれるという。ラッキーと料理の完成を待ちながらどうでもいい雑談に花を咲かせていた。話題はなんとなく愛抱夢のことに。愛抱夢はあの決勝戦から変わった——いや、昔に戻ったなどなど。まあ悪口ではない。特に褒めてもいないが。そんな流れから唐突にシャドウがひそひそ声である噂を口にした。

「そういえばさ知ってるか? Sで噂になっているんだけどよ。愛抱夢のあの死神みてーな衣装。あれ魔界で仕立てたんじゃないかって」

 実也が携帯ゲーム機から顔を上げた。

「そんなくだらないことで声小さくする必要ある? でもまあ魔王だからね。魔界に色々つてがあるんじゃない?」

 テキトーなことを言う実也に、暦は頬杖をついて唇を尖らせる。

「魔界なんてあるわけねーだろ。バカバカしい。だけどあんなデザインの服作れるところって……コスプレ屋? 昔っからああなのか?」

 高校生のころからの知り合いだというチェリーは暦から話を振られ顔を上げる。

「昔はあんな奇抜な格好はしてなかったぞ。トーナメント後は昔に戻ったと思ったのだが、今でもマタドール衣装は相変わらず着ているし。まああれは顔バレを恐れてだと思うが」

 そこへ厨房からジョーが人数分の皿を持ってきた。

「これ取り皿な。——マタドールも大概だけど、あの死神衣装は何てゆーか魔界で仕立てたと言われたらそれっぽく見えるデザインだしな。あいつらしいというか。俺には何考えているかさっぱりわからんしわかりたくもないが——パスタ仕上げてくるから少し待っていてくれ」

 言うだけ言うと皿を置いて再び厨房へ戻っていった。

 暦が、皆の話を聞いているのかいないのかわからないランガに質問した。

「なあ、ランガさあ。おまえが一緒に滑って一番近くで見ているよな。どうだった?」

「俺、愛抱夢がどんな滑りをするかしか意識していなかったから。服のことは気にしなかった。でも意外にも滑りやすそうだなって思った。フィットしていて空気抵抗は少なめだし伸縮性もありそうだった」

「あの異様なデザイン気にならなかったのかよ!」

「今夜はこの装いがふさわしいとかなんとか言っていたような……俺には、なんでふさわしいのかはさっぱりわからなかった。何かスピードが出るとか安定するとかのすごいテクノロジーでも搭載されていたのかな……」

 シャドウは呆れ顔だ。

「んなわけあるかよ。俺ら凡人にはさっぱりわからんがな」

 そんな死神衣装談義の真っ最中、ジョーが大皿に盛ったパスタを持ってきた。

「はいよ。これが試食のパスタだ。ほらそのトングで各自勝手に味見してみてくれ」

「わおー!」

「うまそう!」

「カニだ。カニのパスタだ!」

「ノコギリガザミのトマトクリームソースパスタだ。カニ味噌も身もたっぷり入っているぞ」

「いっただきまーす!」

 ワイワイと各自好きな量を取り皿に盛り黙々と食べ始めた。

「クリームが主でトマトあんまり感じさせないから僕でも食べられる。美味しい」トマトが苦手な実也も夢中で食べている。

「爪が大きくて初めて見るカニだけど甘くてすごく美味しいよ」とランガが頬張りながら目をきらめかせた。

「暖かい海で獲れるカニだからな。寒いところで獲れるカニとは違うだろう? 俺はなるべく沖縄の食材を使う主義なんだ」

「おい、また島唐辛子使っているんだろ? 地産地消はいいが少し辛すぎないか?」とチェリーが文句を言う。

「お子様舌かよ——まあ確かにクリームパスタだから隠し味程度にして辛味抑えた方がいいな」

「そういえば」と食べ終えたランガがソースで汚れた口の周りをぬぐいながら謎の発言をしてきた。

「愛抱夢ってさ、カニが好きなのかな?」

 一同一瞬、ポカーンと口を開けた。ワンテンポ遅れて声が出る。

「え?」

「はぁ?」

「なんで?」

「何言ってるんだ? おまえはまたわけわからないことを。いつものことだから俺は慣れたけどよー」と暦。

「いや、それよりランガはなんでそう思ったんだ?」とチェリーが冷静に質問した。

「え、だってさトーナメント決勝戦で顔にカニの脚つけていただろ」

 全員が揃って絶句した。しばし沈黙が続いたのち暦がなんとか気を取り直してランガの両肩を掴んでグラグラと揺すりだした。

「バカ言うなよ! カニの脚って違うだろうあれは。だいたい赤くなかったぞ」

 ランガは頭をガクガクさせながら抗議する。

「白いカニだっているよ。俺、調べたんだ」

 暦は掴んでいた手をパッと離した。

「どこにいるんだよ。食べられるカニって言えば赤と相場が決まっているんだ」

 ランガはスマホを取り出し「ほら」とある写真付きのニュースを皆に見せた。

 皆がスマホ画面をのぞき込む。それは水族館で飼われている珍しい白いズワイガニだった。

「ほう。これは突然変異だな。アルビノみたいなもので赤い色素を生まれつき持っていないんだ。通常だとこの手の突然変異は早いうちの捕食され成長することも珍しいのだが、水族館に飼われて運が良かったな」

「チェリーって物知りだね」とランガは感心し、チェリーは得意げにうなずいた。

「だからチェリーの言う通り愛抱夢の顔に着けていたの白いカニの脚だ」

 ランガは胸を張って断言する。

 いやいやいや——と吹きそうになりながら実也が手を顔の前でひらひらさせた。

「待て。白いズワイガニが存在するからって、愛抱夢がカニの脚を顔に着けていた、というランガの説に同意したわけじゃないぞ」

 ランガと同レベルの知能にされてはたまらんと慌てて否定するチェリーにランガは不満顔だ。

「カニでないなら何なんだよ」

「あれはどう見ても骨だろう」とゆっくりと諭すように暦は言った。

「ああ、俺もそう思った。背中にも肋骨が描かれていたしな」とジョーがエプロンを外しながら指摘をする。

「ありゃ指の骨だろうな」とシャドウも骨説を支持した。

「同意だ」とチェリーは腕を組んでうんうんとうなずいている。

「僕も骨に一票——ということで五対一だからランガの負けだね」

 食べ終えた実也は笑い、携帯ゲーム機を取り上げた。

「みんながそうだって言うのなら骨なのか。俺だけ違って見えたのか」

 それでもランガは。まだ納得できていないというように眉を寄せた。

 笑いながら暦がランガの背中をバシッと叩いて、一応フォローを入れる。

「まったくユニークな発想するやつだよ。おまえは。それも個性ってことでいいんじゃね」

 ジョーがコーヒーサーバーをテーブルに置いた。

「これ勝手に自分で注いでくれ。それより——」ランガに視線を移す。「なあ、カニの脚だと思っていたこと、おまえ愛抱夢に話したのか?」

「言ってないけど。今度確認してみる」

「やめとけ。これからも絶対にあいつには言うなよ」とチェリーがギロリとランガを横目で見た。

 ランガは目をパチパチさせてジョーとチェリーの顔を交互に見る。

「う、うん。でもどうして?」

「あれは決勝戦のためかなり気合を入れて愛抱夢があつらえてきた衣装だ。思い入れは強いだろう。それなのに肝心のおまえが骨ではなく、よりによってカニの脚だと思っていたなんて知ったら、あいつかなり落ち込むだろうからな」とジョーがため息を落とした。

「ショックのあまり寝込むかもな。黙っていてやれランガ。武士の情けだ。わかったな」

 チェリーがしっかりと釘を刺す。優しい友人たちだ。

「わかった。でもさ愛抱夢って骨が好物だったのか。なんか犬みたいだね」

 邪気なくにっこり笑うランガに周囲が固まる。

 五人の視線が一斉に自分に向けられたことなど気づく様子もなく、ランガは涼しい顔でコーヒーカップに口をつけた。