観覧車

「え? あの観覧車なくなっちゃったの?」

「そうなんだ。再開発で跡地にはホテルが建つ。残念だよ。ふたりの愛を育んだあの思い出の観覧車がなくなってしまったんだ。君だって寂しいと思うだろう?」

 育むって……確か一緒に一度だけ乗ったきりだったと思うんだけど……

「そういえば観覧車って沖縄にひとつしか無いって言っていたよね。そうすると今の沖縄に観覧車は……」

「そう……もう県内には無いんだ」

 付き合ってからまだ間もないころの小旅行で観覧車に乗ったことがある。観覧車目当てではなかったのだが、観覧車が目についた。観覧車があれば乗ってみたくなるのが普通だと思う。なので「乗りたい!」と言った。

 そうか……あの観覧車もう無いのか。

「少し残念だ。そう思うとなんか急に観覧車に乗りたくなるな」

 あまり深く考えることなく口にした言葉だったのだが……

 愛抱夢はランガの両手をまとめてがしっと掴み、ぬっと顔を近づけてくる。見開いた赤い瞳を爛々とさせ、力いっぱい口角を上げた愛抱夢は、実に楽しそうだ。

 反射的に頭がのけぞってしまった。

「そうかそうか。ランガくんも観覧車に乗りたいのか。乗りたいんだね」

「う、うん。そりゃ……で、でもさ、沖縄にもう無いんだったら新しくどこかにできるまで待たないと無理だよね」

 愛抱夢はさらに口角をくいっと持ち上げた。

「僕を誰だと思っているのかな? ランガくんへの愛のためならば海の上だって歩いてみせよう」

 海の上を歩くって……愛抱夢はニンジャだったのか? いやいや、さすがにそれは無理だ。そもそもそれは愛とは関係ないだろうに。

「でも、観覧車をつくるのには時間かかるだろうから急には無理だよ」

「何を言っているのかな? ランガくんは」

「え?」

「いくらなんでも観覧車建造なんてしないよ」

「それじゃあ……」

「観覧車は県外に行けば色々なところにあるんだ。どこがいいだろうか。うむ。やはり東京近郊……となると……お台場の観覧車は解体されてしまったし。そうだ葛西臨海公園の観覧車か。それがいい。早速日程を調整しなくては。スケジュールが埋まっているから日帰りになってしまうかもしれないけど。ランガくんと観覧車デートの約束を取りつけることができたなんて。ああ、楽しみだなぁ」

 え……ちょっと待って。もう行くの決定?

「愛抱夢、本気で言っているのか?」

「冗談で僕がこんなこと言うと思うのかい。本気に決まっているだろう。何より君は観覧車に乗りたいと確かに言った。そうだったよね」

 またもや愛抱夢は顔を近づけ迫ってくる。それこそ鼻と鼻がくっつきそうなくらい。その迫力に気圧された。

「は、はい」

 この状況で、これ以外の選択肢があるのなら教えてほしい。

 ということで東京日帰り弾丸デートと相なった。

 観覧車は気持ちいい。東京の冬は沖縄よりはずっと寒かったけれど、カナダに比べれば暖かい。

 沖縄で乗った観覧車からは、青く澄み切った美しい海を見ることができたが、ここの海は……色が違って茶色だった。確か東京オリンピックでトライアスロン選手は、この海を泳いだと聞いた。沖縄でやればよかったのに。そんなに距離が離れているわけじゃないんだから——と思わないでもない。

 それでも、海風は心地よく、東京ディズニーランド、レインボーブリッジ、アクアラインの海ほたる、都庁、東京タワー、東京スカイツリー、東京ゲートブリッジ、さらに遠くに目をやると、房総半島から富士山まで一望できる。もちろん全て愛抱夢が解説してくれたのだが。空気が澄んだ冬で快晴だったこともあって、雪化粧した富士山まで眺めることができたのには感動した。

 ということで十七分ほどの空中散歩はあっという間に終わった。

 それからふたりで暖かいお茶を飲みつつ休憩して、さて帰るのかな……と思ったら、愛抱夢はまたチケットを買っている。

「もう一周しよう」

「え?」

 もう十分堪能したし……陽も落ちかけている。

「今から順番を待てば、ちょうど日没マジックアワーに差し掛かる。ロマンチックだろう?」

 見れば、地平線に差し掛かった太陽の光を受け、西の空が朱色に染まっていた。これが金色、濃紺、そして藍色の夜空へと美しいグラデーションを見せてくれる時間だという。

 といった調子で押し切られ二周目。

 確かにマジックアワーに見せてくれるこの色彩は神秘的だった。煌めき始めた都会の夜景も綺麗だ。

「感想は?」

 訊かれて、愛抱夢を見れば薄闇の中、深紅の瞳が不思議な光を帯びていた。

「明るいときの眺めと全然違う。こっちも見せてくれてありがとう。愛抱夢」

「どういたしまして。では、ここにおいで」

 愛抱夢はランガの手をひき、自分の膝に座らせた。

 後頭部を掴まれ彼の顔が近づいてくる。

「あの……外から見られない?」

「まさか、暗いから大丈夫だよ。夜景を見せたかったというのもあるけど、半分はこのために乗ったんだ」

 唇にあたたかく柔らかいものが押し付けられ、ランガは目を閉じ愛抱夢のキスを受けとめた。