果ての無い欲望

 ランガとふたりで暮らしはじめて三ヶ月になる。

 それまでは、週の半分を東京と沖縄に離れ離れになるという、ある意味長距離恋愛だった。沖縄に戻ったとしても自分も彼もそこまで暇なわけではない。お互いタイミングを合わせることも難しく、デートすることもままならない日々では欲求不満にもなる。

 しかし、そんな生活は、ランガが東京の大学へ進学することで終わりを告げた。

 東京の別宅で一緒に暮らす——つまり世話になった知人の息子に一部屋提供しているのだというふうに世間体を整え、その実態は同棲でしかない生活をスタートさせた。

 天が自分の味方をしてくれたのだ。もう、あのような歯がゆい毎日を送らなくてすむことに感謝した。

 とはいえ、自分は東京と沖縄を行ったり来たりの生活であることには変わりない。その上、仕事も当然のごとく忙しく、ふたりでゆっくり過ごす時間をつくることはなかなか難儀だった。

 いつでもランガの相手をすることができるわけでもなく、それは学生であるランガも同じだ。よって年がら年中ベタベタといちゃつけるわけではないことに変わりはない。

 それでも帰宅すれば間違いなくランガがいる。同じ空間に彼がいるのだという幸運を噛み締めていた。

 この差は大きい。心に余裕が生まれたのだから。

 そして、時間ができれば、欲望の命じるまま彼を貪った。まだ青く未熟な肉体を暴き、己をさらけ出し、愛を注ぎ――時間と体力が許す限り求め続ける。そんな愛之介をランガはただ受け入れ快楽の中に耽溺していった。

 ランガは変わった。綺麗になったというのもある。もともと端正な顔立ちだったのだが、まだ少年でしかなく、やることなすこと子供っぽく色気とは程遠かった。

 それが、ここで一緒に暮らすようになってから、妙に大人びてきたというのだろうか。彼の表情ひとつとっても、子供にはない婀娜っぽさが醸し出されるようになっていた。見慣れているはずの自分でもドキッとさせられるほどの。

 それなのに、彼の背に白い羽根を幻視したときに感じた、あの清麗さが失われることはなかった。それは極寒の北海道で一度だけ見たダイヤモンドダストの煌めきのように清浄なのだ。

 淫らであり清らか。その矛盾こそよりがランガの本質なのだろう。

 そこまで思考を巡らせ、ふと気になった。ランガは誰彼構わず、こんな色気をばら撒いているのかと。

 不安になると、いても立ってもいられず、ぎりぎり合法な手段で彼の大学生活をこっそり観察させてもらった。

 結論としては杞憂だった。大学の友人たちと一緒にいるときの彼は、昔の——無頓着で無邪気な少年の顔をしている。そう……赤毛の親友と屈託なく笑い合っていたあのときのままだった。

 あの蠱惑的な艶っぽさは、自分にだけ向けられるのだ——と思うと妙な優越感から締まらないニヤニヤ笑いが抑えられなくなる。


 甲高い啼き声が夜気を震わせていた。その音の波長は愛之介の欲望中枢を強く刺激してくる。

 腕で支え上体を起こし、組み敷いた相手を見下ろせばシーツを握る白い指が震えていた。その指に自分の手を重ねる。

 間接照明のやわらかい光の中、さんざん愛撫を受け入れていた白い肌が淡く色づいていた。隆起するなだらかな胸とともに、ゆっくりと上下する桜色の乳首——くらくらする。

 ランガはもちろん無自覚なのだが、まったく、なんと悩ましい嬌態を見せつけてくれるのだ。

 下腹部に感じていた滾るものが、ますます熱を帯びる。その熱は欲望の奔流となり出口を求め愛之介を急激に昂らせた。

 ——犯したい……

 理性をかなぐり捨て己の欲望が命じるまま、獣の獰猛さで犯し倒したい。これほど快楽に対して貪欲なくせに何度抱いても清純さを消し去ることのできないこの肉体を。

 自分の凶器で深々と貫き、中を乱暴にかき混ぜ突きまくり……ランガが泣いて懇願してこようが、力でねじ伏せ暴力的に犯し——気が済むまで蹂躙し尽くしてしまいたい。

 そして、凌辱の痕跡が生々しく刻まれた白い裸身をうっとりと愛でよう。それは、さぞ魅惑的なのだろう。それから優しく癒すように、この腕で抱きしめよう。

 そうだ。自分なら……神道愛之介ならば許される。

 ゴクリと唾を飲み込み、脚を開かせようと手を伸ばした刹那、ランガの瞼がうっすらと開き焦点の合わない瞳が覗いた。手が止まる。澄み切った汚れなき青が、胸に突き刺さる。

 ——いけない……

 すんでのところで思いとどまった。

 この歪み切った思考、嗜虐的な衝動は何なのか。

 ああ、もちろん理解している。ランガを自分の支配下に置き欲望のまま好き勝手暴虐の限りをつくしたとしても、決して心の空白は埋まらないのだと。人の欲に果てはなく、何かを手に入れれば次に失うことを恐れる。目指すべきゴールなどどこにも存在しないのだ。

 自分は万能の神ではないのだから。もちろんSでは別だが。

 ふと……あの声が聞こえた。

 ——あなたを愛しているからこうするの……

 三人の伯母たちの顔が浮かんだ。

 定規が振り下ろされ、愛之介の腕の内側に刻まれる赤く痛々しい傷。そのときの伯母たちの顔——あれは、間違いなく恍惚とした面持ちだった。そんなことに気がついたのもごく最近——ランガと付き合い出してからのこと。

 いつか、この破壊的な衝動に抗えなくなるときが来るのだろうか。神道家の血を引く自分は、一生その恐怖と向き合わなくてはいけない運命なのか。

 ランガの指が愛之介の頬に触れた。

「愛抱夢……どうかした? ねえ、来て……」

 我に返り見下ろせば、口元を曲げ怪訝な様子のランガが、じっと見上げていた。

「いつか僕は君に酷いことをしてしまうかもしれない」

 掠れた声が出た。

「酷いことって?」

「君を壊してしまうくらい、酷いこと」

 ランガは眉を寄せた。

「まあ、いいや。そうしたければ、そうすればいい」

「簡単にそんなことを言うものではないよ」

「いいよ。酷いかどうかは、やってみなければわからないだろ」

「後悔しても知らないよ」

「試してみて嫌だったらそう言うし……なんなら殴ってやるから、好きにして……」

「そう……でも今はしない」

「あれ? 俺、また変なこと言ったのかな。もしかして萎えさせちゃったとか」

 吹き出しそうになり、肩と眉を上げおどけてみせた。

「まさか。僕はそんなに薄情ではない。予告してやっても楽しくないから別の機会にサプライズがいいだろう……って考えただけだよ。覚悟しておいて」

 ランガは愛之介のうなじを掴んでぐいっと引き寄せ、軽く唇にキスをして微笑んだ。

「それより……続きをやろうよ」

 重く受け止めたりしないのは、いかにもランガらしい。完全に毒気を抜かれた。もう苦笑するしかない。

 背中とシーツの隙間に手を滑り込ませ、掬い上げると折れるほど強く抱きしめた。

「ああ、思う存分、愛し合おう」

 ランガは上体を起こした。そして、悪戯っぽく笑って手を愛之介の股間に伸ばす。褐色の陰茎に白い指が、そっと触れ優しく絡め取った。

 こんなに長くて綺麗な指なのに、なんて淫猥な動きをするのだろうか。

「うっ……」

 思わず声が出る。

 愛之介もランガのものを軽く握り愛撫してやった。

 やがて、しっかりと勃ち上がったお互いのものにコンドームを付け合う。

 ベッドの上で仰向けになった愛之介は、自分の上を跨ぐようランガに促した。ランガは素直に従ったのだが——

「ランガくん、逆だよ逆。頭はあっち」

 足の方を指差せば「そっか」と彼は体勢を入れ換え四つん這いになった。理解が早くて助かる。

 ちょうど目の前にあるランガのものを指で引き寄せ濡れた舌で舐め上げてやった。ランガは息を詰め、ピクリと反応するが迷わず愛之介のものにしゃぶりついた。

 静かな部屋で、ふたり分のクチュクチュという卑猥な音だけが聞こえている。

 熱い吐息。生き物のように蠢く舌。繊細な指遣い。全ての動きに無駄がなかった。もしかして、自分はとんでもないものを目覚めさせてしまったのかもしれない。

 じんじんと頭の中が痺れ出し、愛之介もランガのものを喉奥まで咥え夢中で舌を動かした。

「んっ……」

 ランガが短いうめき声とともに腰を捩った。それに応え愛之介も頭を持ち上げ、強く吸い舌で締めつけた。

 やがて、ランガの動きが忙しなくなっていき——次の瞬間、凄まじい快感が腰から背を駆け上がり愛之介は射精していた。同時に口の中でランガのものが脈打ちはじめる。膨らんだコンドームの先端が喉奥でプルプルと震えた。


 コンドームの始末を終え擦り寄ってきたランガの腰を抱いた。

「ねえ……もう一回やる?」

「ランガくんがやらせてくれるのなら」

 首にするりと腕が絡み唇が重なった。

「じゃあ、俺を抱いて……」


 ベッドのスプリングが弾んでいる。

 キス、愛撫、情交。シーツの衣擦れが、体を合わせる音が、ランガの悲鳴のような啼き声が、愛之介の荒い息遣いが、薄闇の中に吸い込まれていった。

 繰り返し押し寄せる愉悦の波にランガはただ身をゆだね、喘ぎ、性の悦びに全身を震わせている。そんなランガの媚態を目に焼き付け、声を聞き、しっとりと吸い付く肌のあたたかさを存分に味わった。きつく抱きしめれば、汗と体臭の混ざったランガの匂いがふわり鼻を掠める。

 胸と胸を重ね目を閉じれば、早鐘のような心臓の鼓動が共振していた。

 響き合うふたつの心。惹かれ合うふたつの魂。

 決して離れることのできない唯一の存在。

 アダムとイヴ。

 胸があたたかいもので満たされていく。少なくても、今この瞬間、自分は世界一幸福なのだと信じられた。