お昼寝

 ノックはしないように。鍵はかかっていないからそのまま入室して、もし眠っているようなら目を覚ますまで静かにソファーにでも座って待っていなさい。長くても二十分ほどで勝手に置きるだろう――とスネークはテキパキと説明しながら愛抱夢の私室の前まで案内してすぐにその場から立ち去った。

 今の時刻は午後二時過ぎだ。愛抱夢は昼寝中ということなのだろうか。

 そんなに疲れているなんて大丈夫だろうか。無理しなくていいのに。

 働いている社会人がSへの参加と仕事を両立させるのは大変だ。気楽な学生とはわけが違う。しかも愛抱夢の表の顔である政治家は激務だと聞く。週のうち半分ずつ東京と沖縄を行ったり来たりしていると言っていた。

 軽く握ったこぶしでドアを叩こうとして、スネークから受けた注意を思い出し慌てて手を引っ込める。

 ノックしてはいけなかったんだ。

 そっとドアを開ける。部屋の中をぐるりと見回したら、デスクの上に青いものが見えた。愛抱夢の頭だ。腕を枕にして突っ伏して眠っているようだった。

 彼が自然に目を覚ますまで、おとなしく待っているように言われている。二十分もしたら目を覚ますということだったし、静かに待つことにした。

 ランガは音を立てないよう注意しながらソファーに腰を下ろした。

 さて……何もすることがない。スマホをいじるくらいだ。退屈だな。

 ふわぁーと大きな欠伸が出た。近くで誰かが眠っているとつられて自分まで眠くなる。

 眠気を飛ばそうと頑張って眺めていたスマホの文字が滲んできた。まずい——瞼が勝手に閉じて……意識が……ふわふわと。だから少しだけ……


 ふわりと微かに漂う甘い香り……このにおいを知っている。ウッディでスモーキーでフローラル。心を落ち着かせてくれる、とても好きなにおい――これは……愛抱夢の……

 え?

 ぱちっと目が開いた。

 半覚醒状態の頭で考える。ここは……そうだった。愛抱夢の部屋だ。

「やあ、お目覚めかい」

 掛けられた声に跳び上がりそうになった。ついでに自分が愛抱夢にもたれかかっていたことを知る。

 慌てて体を離し「ごめん」ととりあえず謝ってみたが、よく考えたら謝る必要はなかった。そもそも呼び出しておきながら愛抱夢は昼寝をしていたではないか。

 愛抱夢は思いっきり目尻を下げ口角をつり上げ顔を近づけてきた。妙に楽しそう——嬉しそうだ。

「ラブリーな天使の寝顔をたくさん見ることができて、僕はとても満足だよ。許されるのならそのまま何時間でも眺めていたかったくらいだ」

 何を言っているんだこの人は……と思うのだがこの大袈裟な愛情表現らしきものには慣れてしまっている。

「俺、どのくらい眠っていたのかな」

「多分、三十分くらいだと思うよ。それより君が来てくれたとき僕が昼寝中ですまなかったね」

「俺が非常識に早く来ちゃっただけだから……」

「早く来てくれたなんて。君も僕に早く会いたくてたまらなかっただね。嬉しいなぁ。感激だ」

 そういうわけでは——いや、そうでもないか。

 気持ちが急いて落ち着かなくて、かなり早い時間に家を出てしまったんだ。のんびり向かったはずだったんだけど約束の時間より一時間近く前に到着してしまった。

 迎えてくれたスネークが特に驚いたり困っているような顔をすることもなく淡々と部屋へと案内してくれたことに胸を撫で下ろした。それでも愛抱夢は昼寝中だから目が覚めるまで待っているようにと言われた。

「疲れていたんだろう? 昼寝なんて愛抱夢らしくないなって」

「ん? 昼食後の昼寝は僕の日課だよ」

「え?」

 意外すぎて驚いた。

「十五分から二十分、デスクの上に頭を乗せてうつ伏せ寝するだけだけどね」

「なんで?」

「短い時間の昼寝は、午後の集中力が高まるんだ。仕事の効率が上がる」

「へえ、俺もやってみようかな」

「やってごらん。でも三十分以上眠っても、横になっても逆効果だから気をつけるように」

「そうなんだ。俺、知らなかった。愛抱夢はそうやって一生懸命みんなのために仕事しているんだね。やっぱり愛抱夢はすごいや」

「ふふ……惚れ直してくれたかな?」

 愛抱夢がたまに使う「惚れ直す」という日本語の意味は、前に説明してくれたときはピンと来なかった。それから何度となくその言葉を耳にして、うっすらわかってきたような気がしている。

 強く「好き」を意識すること。その前好きと思ったときより、今はもっと好きになったってことだ。昨日より今日、今日より明日というように。好きがどんどん胸の中で大きくなって溢れだすんだ。

 多分そんな感じ。違うかもだけど。

「ランガくん、では行こうか。Sがはじまるまで、目一杯ふたりで滑ろう」

「わかった」

 ランガは差し出された愛抱夢の手に自分の手を重ねた。