眩しい太陽
「おまえ最近雪降らす頻度と威力が増してねえか? この前の愛抱夢とのビーフのとき、ゴール直前で大雪降らせて、皆、勝敗そっちのけで大喜びしてさ、雪合戦が始まったよなぁ。沖縄県民には雪って神秘的な気象現象だから、そりゃ夢中になるさ。まあ飲みものまで凍らせっちゃったのには参ったけど」
スケボーのメンテナンスをしながら暦は顔を上げ、にっと白い歯を見せた。
やはり客観的にもそう見えるのか。気のせいではなかった。雪女の持つ特殊能力の威力が日毎に増している。しかも頭が痛いことにランガには、その力を自分の意思で扱うことができないのだ。
「困ったな……俺、テンション上がると雪降らしたり、そこら中凍らしたりしているよね。カナダでスノーボードやっているときは俺が降らせたのか自然な気象現象なのかわかりづらかったことが幸いして、誰も気づいていなかったけど。雪の降らない沖縄じゃそうはいかないし。なんで俺、コントロールできないんだろう」
「まあ気にすんな。それこそ、とんでもない大雪でS参加者全員凍死させたりしなければいいんじゃね。『南国沖縄で雪崩に巻き込まれて』とか『沖縄の廃鉱山で遭難者が救助されたが低体温症で』とか……なんか笑える新聞タイトルになるぜ」
暦は呑気に笑っているけど笑いごとじゃない。こっちは、そのとんでもないことを、いつかやらかしてしまうのではないか——と内心ビクビクと怯えているんだ。
「まったく。人の気も知らないで……暦はさ、狼男の特殊能力が表れて変身したとしても、理性は保てているし、腕力や体力が飛躍的に伸びて、超人的に鼻が利いたり聴覚が鋭くなったりの能力アップだけだろう。しかも自分の意思でコントロール可能なんだから良いことだらけで羨ましいよ」
嘆息して唇を尖らせれば、暦はランガの背中をバンと叩いた。
「だから気にすんなって。それにしても、なんでおまえに雪女体質がいきなり出てきたんだろうな。おまえのお母さんは雪女の血は入っていても、特殊能力はないんだろう。そもそも沖縄出身なんだし。なのに雪女の血が入っているって……」
「なんか、遠い先祖に本土からの移住者がいたらしいんだ。俺日本に来てから調べたんだけど、もともと雪女と人間との間に十人の子供ができたって話が伝わっている。それで、その十人が結婚して子供ができて——を繰り返すと、あっという間に雪女因子が広がるし、その雪女以外でも、最後まで正体バレずに子供を残した雪女だっていただろうし。雪女そのものはもう絶滅しているらしいけど」
「なるほどな。でもさ雪女と吸血鬼のハーフなんて、すげー珍しくないか?」
「人を珍獣扱いするなよ。そういう暦だって、沖縄に狼いないのに狼男だなんて……」
「でも、ほら琉球犬って、最も狼に近いって言われている犬種なんだ。それと大昔この辺では、欧米人の船乗りが遭難して漂着して住み着いたりすることがちょくちょくあったらしいんだ……そんなかに狼男の血が混ざっていても不思議ないよな」
「そっか……」
言われてみればその通りだ。世界的に混血が進んで……というか純潔のヨーロッパ系とかアフリカ系とかアジア系なんて言っても、遠い祖先でどんな血が混ざっているかなんてわからないんだ。
とはいえ、コントロールできないまま雪女の能力がパワーアップしても困る。
最近どこから噂を聞きつけてきたのか、「雪を知らない沖縄の子供達に雪遊びをさせてあげようという企画がある。イベントに協力してほしい」などという依頼が来たりする。
それどころか本土にあるスキー場のある自治体から「雪不足の解消に雪女の力が必要なんです」などと泣きつかれる始末だ。
雪女の特殊能力が人の役に立つのなら喜んで協力したいのだが、なんせ自分の意思で降雪をコントロールできない以上、まったく役に立てない。
雪女因子を持っている日本人はかなり多いはずだ。しかし今現在その能力を発動できる人間は自分だけらしい。ごく稀にしか表に出ない能力である以上、対処法を見つけるのに余計時間がかかる。
こういうときは……ああ、そうだ。とりあえず顔の広いあの人に相談してみようと閃いた。
メッセージアプリを開く。
〈Langa:こんばんは。今度いつSに来る?〉
〈Adam:こんばんは。再来週になってしまうかな〉
〈Langa:じゃあ、そのときに直接会って相談したいことがあるんだ〉
そうメッセージを送るとほぼ同時に通話呼び出し音が鳴った。
「愛抱夢……大丈夫? 忙しくないの」
——「もちろん問題ない。それより悩みごとがあるのなら早いほうがいいだろう。次のSまで待たなくても相談に乗るよ」
「そんな大したことじゃないから。大丈夫だよ。無理しなくていいから」
——「無理なんてことあるものか。大したことないって言っても悩んでいるんだろう?」
「まあ……」
——「それなら早いほうがいい。僕は一日でも早く愛する人の悩みを解決してあげたいんだ」
「そんな迷惑かけられない」
——「迷惑なわけないだろう。君の役に立てるなんて、スケーター冥利につきる」
スケーターみょうり? なんかまた難しい言葉を使われた。とにかく愛抱夢は迷惑だとは思っていないってことなのだろう。なら甘えてしまおうか。
「ありがとう。じゃあ、相談に乗って欲しい」
——「明日だけど時間空いている? 僕は明後日の始発便で東京に行かなくてはいけない。明日なら会えるよ」
「ありがとう。明日は一日中空いている。俺がお願いしているんだから、愛抱夢の都合のいい時間と場所を指定して」
——「それなら、僕の方から場所と時間を連絡しよう」
「わかった」
ということで当日、愛抱夢の別荘にランガはいた。
そのほうが人目が気にならず落ち着いて話を聞けるだろうという愛抱夢の配慮だった。助かる。
案内された別荘のテラスには、たくさんの美味しそうな料理が並べられていた。
愛抱夢は吸血鬼のくせに美食家だ。一方、ランガも吸血鬼の血も混ざっているくせに血が苦手かつ大食いだった。どっちもどっちだが、より吸血鬼らしくないのは自分だろうと理解している。
食後のお茶を飲んでいたとき「それで、相談って何かな?」と、やっと本題に誘導された。
いけない。夢中になって料理を味わっているうちに、うっかり本来の目的を失念していた。というか、お腹がいっぱいになっているせいか、割とどうでも良くなっている。
いや、それはダメだ。この悩みはとても大きい。ここで対処しないと今後の人生を左右するかも知れない。
「そうだった。実は……」と今現在の雪女の能力が自分の意思でまったくコントロールできていないという現状を打ち明けた。
「ふむ。ランガくんの持っている雪女由来の特殊能力——雪を降らせたり何でも凍りつかせてしまう——を、自分の意思でまったく制御できていなかったのか」
「実は、そうなんだ。しかも降らす雪の威力や凍りつかせる力が急激に高まっているって感じるんだ。コントロールの仕方がわからないまま、こんな調子で力が強くなってしまったらどうしようかと。海に行ったら、沖縄の海全部凍らせてしまうかも知れない」
「ふむ。それは、沖縄の観光産業——どころか生態系に影響与えるかも知れないね。なんとかしないと不味いか」
「俺が大人しくしていて、感情を昂らせたりしなければ人に迷惑はかけないと思う」
「それは無理だし、君にそんな人生を送ってもらうなんて、僕が悲しい。先日の僕とのビーフで雪を降らせていたね。僕たちの素晴らしい滑りより夢中になって雪遊びを始めたS参加者はいただけなかったな。あの程度の雪なら問題ないと思うけど、あれより強力になってしまうと確かに厄介だ」
「何かにヒリヒリするほど夢中になって、テンションを上げてしまうと、とんでもない冷気を呼び込み大雪を降らしたりそこら中のものを凍らせるみたいなんだ。楽しいとかワクワクするくらいなら少し雪が降るレベルで済むけど」
愛抱夢は思いっきり口角を上げて、目尻を下げて……なんて良い笑顔。
笑っている場合ではないんだけど。
「今のところ最大パワーで吹雪かせたり凍らせるのは、僕とのビーフだけって考えていい?」
「そうなるね。他はパラパラ降らせるくらいだから」
「それは、光栄だなぁ。とても嬉しい。こんな嬉しいことはない」
何を喜んでいるんだろう。この人は。それが大問題なんじゃないか。
「だからとりあえずは愛抱夢とビーフをしなければ、大丈夫だとは思うんだ。次にビーフをしたら何が起こるかわからない」
「それは本末転倒だ!」
ガタンと立ち上がり、愛抱夢はぬっと顔を近づけてきた。間近に迫った赤い瞳が真っ直ぐにランガを見つめた。
「僕と君の素晴らしいビーフができないなんて……S界の損失だ。すぐに対策を考えよう。しかし……」
再び腰を下ろした愛抱夢は、顎に手を当て眉間にシワを寄せ、何かを真剣に思案しているようだった。
「本当は雪女の血を引いていて同じ能力がある人に相談したいんだけど……データベース参照してみても、俺以外いないみたいなんだ。雪女の血筋であるはずの母さんには能力ないからわからないみたいだし……ごめん。愛抱夢だってどうしようもないよね」
顔を上げた愛抱夢は、いつになく真面目な表情をしていた。
「政府が委託している研究機関に相談すれば、あるいは……」
「そんな研究所があるんだ」
「ああ。内閣府に〈人外特殊因子庁〉があってね。人外の因子が強く出てしまった人たちの悩みや生きにくさに寄り添い、福祉や健康を支援して、どのような人外の個性が強く出ていても彼らの権利を尊重し生きやすい社会にするための政策に取り組んでいるんだ。僕が中心になって創設の提言を取りまとめたんだよ」
「へえ、そんなことやっていたんだ。愛抱夢はすごいね」
「ふふふ……惚れ直してくれたかい。そうやって少しずつ人外能力が発動してしまった人たちをフォローする環境が整えられている。特殊能力が意図せず人に危害を加えなければ良いのだから、コントロールの方法を探り、さらに人のために役立てようと日々研究を続けているんだ。抑制する薬もあるんだよ」
すごい。なんだか希望が見えてきた。
「俺でも、なんとかなるかな」
「もちろんだよ。研究所は東京に近い茨城県つくば市にあるんだ。ランガくんのようなごく珍しい事例は研究所からしても貴重だから、快く引き受けてくれると思うよ。君に直接行ってもらうことになると思うけど、いいかな?」
「もちろんいいよ。俺、行くよ」
「では、先方に連絡を取っておこう。それまで君は大船に乗ったつもりで待っていなさい」
大船? 日本語難しい。でも愛抱夢に任せてしまって大丈夫だということなのだろう。皆から奇人変人変態吸血鬼扱いされている人だけど、やはり本職が本職だ。こういうときには頼りになる。相談してよかった。
「待っている。ありがとう」
愛抱夢はニコッと笑い、すっと手を差し出してきた。
「おいで。食事が終わったところで、ひと滑りしようか。軽く滑るくらいなら君も大雪を降らすてことはないだろう」
躊躇わずに愛抱夢の手をとり椅子から立ち上がった。
「大丈夫だよ。滑ろう、愛抱夢!」
感謝の気持ちが胸の奥から込み上げてくる。
(こんな俺のために、ここまでしてくれるなんて。愛抱夢は本当に親切で優しいんだ。みんな誤解している)
泣きそうなほど感激して、その情動に押されるままランガは思わず「本当にありがとう」と愛抱夢に抱きついた。
ピッキーン——
あれ? おかしい。
「ん?」と愛抱夢も気がついたらしい。ふたり揃って足が動かない。
恐る恐る足元に目をやれば、ふたりの足が氷に覆われ、地面に張りついていた。
やってしまった……
「ごめん! 愛抱夢。俺、嬉しくてつい……」
愛抱夢はランガの頭を撫で、耳元で言った。
「足元を凍らせてしまうほど君の感情を昂らせてしまうなんて、政治家冥利につきる。しばらくこうして抱き合っているのも悪くないね。幸い今は夏だからすぐに氷は溶けるさ」
「本当にごめんなさい」
「……早いところコントロール方法覚えてくれないと……ランガくんとキス以上のことができないのか……これは大問題だ」
ひとり言なのか、ボソボソと聞こえた愛抱夢の呟き。
キス以上のことって? まあいいか——と、白い雲がポッカリと浮かぶ明るい青空を見上げれば、輝く夏の太陽が眩しくて思わず目を細める。
それから、ふたりは抱き合ったまま足を固める氷が溶けるのを待った。
了