薔薇の下で

「そういえば、俺、愛抱夢の顔知らない」

 夜中のSで滑ったあと、唐突にランガは言った。

「決勝戦のとき仮面は外れていたのだから、僕の素顔見ているはずだが」

「暗かったし。明るいところでは見ていないから昼間会ったらわからないかも」

「そんなに、僕の素顔に興味あるのかな?」

 ランガは少し首を傾げ何か考えているようだった。頼むから悩まないでほしい。

「どうだろう。えーと、暦もミヤもジョーもチェリーも化粧落としたシャドウですらS以外の顔と本名知っているのに、愛抱夢って何者なのか知らないなと少し気になっただけ。祝勝会のときも最後まで仮面外さなかかったし」

 昼間、僕に会いたいのかい? と訊きそうになって、やめた。悪気なく「どっちでもいい」とか「別に」などと言われそうで、そうなれば立ち直るのに時間がかかりそうだ。

「では、明るいときにふたりで会おうか。君にだけ特別に表の僕の顔を見せるよ。他の皆には内緒でね。僕にも社会的立場があって色々広げてしまうと面倒なんだよ。とりあえず君とふたりだけで会おう。あとは様子見ということにして。よし決まりだ。ああ君と昼間会えるなんて夢のようだよ」

 考える時間など与えるものか、とばかりに早口で捲し立てた。ここは強引に押し切るが吉だ。

 ランガは目をパチクリさせたが、断る理由も見つからなかったのだろう。「うん、わかった」と色よい返事をくれた。


 さて、ランガとの初デートプランを立案しないといけないのだが、愛抱夢こと愛之介は困っていた。

 那覇近郊でデートなんてことをすれば、どこで知り合いにばったり出くわすかなんてわからない。S関係者に会うのも避けたいが、それ以上に議員繋がりの知り合いに目撃されてしまうと面倒だ。

 週刊誌絡みだったりすれば、もっと大騒ぎになる。未成年の男子高校生とふたりきりで仲睦まじくなんて目撃されてみろ。それこそ人気若手政治家の裏の顔、みたいなスキャンダルを提供するみたいなものだ。

 よそよそしく振る舞えばいいって? そんなことできるわけないだろ! ベタベタしてしまう自信はある。

「淫行疑惑!?人気若手政治家が連れ歩く謎の美少年」などという俗っぽい見出しが愛之介の脳裏に浮かぶ。

 もちろん、手を出していない以上ただの名誉毀損にしかならないのだから、記事本文では否定されるだろう。が、中吊り広告で拡散されるだろう煽り見出しだけで火消しが面倒だし、多少のダメージは免れない。


 ということで、デート場所は不本意ではあるが神道家の屋敷にする。それが一番安全だ。


 その日は、事情をよく理解している忠にランガの送迎をやらせることにした。

 伯母どもがいない日時を選んで日程調整をする。使用人たちには適当に作り話をでっち上げれば問題ない。頭の硬い連中ばかりだ。ランガが美しい容貌の持ち主とはいえ所詮男なのだから、好奇の目を向けることはないだろう。

 食事は、花を鑑賞しながらのガーデンランチにすればいい。

 大袈裟にならない簡単に食べられる、それでも食材にこだわったメニュー考えてもらおう。好き嫌いはないようだが、好物だと聞いているプーティンは忘れずに用意しないといけない。でも、プーティンは時間をおくとヘナヘナになるのだから提供するタイミングが大切だったな。忠による事前調査によるとかなりの大食漢という話だ。量も多め用意させる必要がある。

 よし、だんだん盛り上がってきた。

 思わず鼻歌を歌ってしまうほど、愛之介はご機嫌だった。


 当日、時間通り忠はランガを連れて戻ってきた。

 車を降り、落ち着かなさそうにキョロキョロとあたりを見回すランガは、お馴染みの白シャツにジーンズという装いだ。あまりファッションに興味はないらしいのだが、この白シャツというシンプルさが彼の美貌をむしろ引き立てている。

 それでも、もう少し親しくなったらそれなりにおしゃれな服をプレゼントできればと思う。


「ようこそランガくん」と、両腕を広げ歓迎の気持ちを体全体で表現した。

「こんにちは。ここ愛抱夢の家なの?」

「そうだよ」

「へぇー。すごく大きいんだね。庭も、植物園みたいだ」

「庭は後で案内しよう。お腹空いただろう? ランチは用意できている。使用人が腕を振るってくれたからね」


 前情報通り、ランガはとにかくよく食べる。

 なんでも、美味しいと言って食べてくれるが美味しい以外の感想は言わない。というか語彙が少ないだけなのかもしれない。食レポは無理そうだ。


 デザートを終えて、庭を少し歩こうかという話になる。

 さりげなく手を取り肩を抱いてエスコートするが、ランガに嫌がる様子は見られない。かといって、嬉しがっている感じもしないが。好意を持って受け入れてくれているのか超鈍感なのか悩むところだ。後者のような気がしないでもないが半分くらいは前者であるのだと信じたい。


 愛之介にとっても久々に散策する庭だ。隅々まで手入れは行き届いている。神道家の庭師は優秀だと感心する。ランガはカナダではあまり見たことのない珍しい花が多いと言う。それなりに楽しんでいるようで愛之介は胸を撫で下ろした。


 ふと足を止めランガは言った。

「愛抱夢の服、アロハ? Sのときとは違うね」

 流石の僕でもTPOくらいわきまえている。マタドール衣装なんてS以外で着られるか。

「これは、かりゆしだよ。沖縄では正装にもなるんだけどね」

 ランガはうーんと、首を捻っている。

「ねえ、愛抱夢は俺に表の顔を見せてくれるって言ったよね。Sと違う服を着ているけど、サングラスをかけっぱなしなのは、なぜ? それじゃ仮面つけているのと変わらない。名前も教えてもらっていないし」

「そうだね。それはこれからだよ」そう言って、ランガの繋いだ手を引いて最終ゴールを目指した。

 最後に誘導したのは、アーチを並べて作った蔓薔薇のトンネルだ。

 見事に咲き誇る薔薇のトンネルの中へランガを誘う。

 目をキラキラさせてランガは頭上の薔薇を見上げた。木漏れ日が放射状の光となってランガの顔を点々と照らしていた。天使の梯子のミニチュアだ。

「わあ、すごいね。薔薇はカナダにあるのと変わらないんだ」

「高温多湿の亜熱帯気候である沖縄だと薔薇を綺麗に咲かせるのは難しいそうだ。ここには腕のいい庭師がいるからね」

「すごい人なんだね」

 楽しそうにしているランガを見ていると幸せな気分になれる。


 トンネルの中央あたりに辿り着いた愛之介は、ランガの両肩を掴んで、真正面で向き合った。

「さて、この辺りでいいかな。まず僕の本名は神道愛之介だ。名刺を渡しておこうか」

「シンドウアイノスケ? 神道がファミリーネームだね」

 名刺をチラリとだけ見て、ランガは言った。所属組織や職業、肩書きには興味ないらしい。まあ、その方がいい。

「さて、サングラスを外すよ」

「でも、どうしてここで?」

「SUB ROSA」

「何、それ」

「ラテン語。英語なら 〈under the rose〉 」

「それ、聞いたことある」

「薔薇の下での秘密は守られなければいけない。ここで言ったことも聞いたことも見たことも知ったことも、そして起こったことも他言無用。外で話してはいけない、という意味だよ」

「約束するよ」

 愛之介はサングラスを徐に外した。

「これでいいかな。ランガくん」

 ランガは真剣な面持ちで顔を近づけてきた。こうじっと見つめられると、なんというかこそばゆい。

「覚えた。これで昼間出会ってもすぐに愛抱夢って気がつくと思う」

「S以外で愛抱夢呼びは勘弁してくれないかな」

「神道さんと呼べばいい? それとも愛之介さんと?」

「愛之介でいいよ」

「わかった」

「ひとつ君にお願いがある」

「何?」

「今ここで、君を抱きしめキスをしたい」

 愛之介を見つめたままランガの表情が固まった。

 何度か瞬きをして「ハグは別にいいけど。キスは……するところによる」と言った。

「唇はどうかな?」

「それは、まだ」

 まあ、当然の反応だ。まだってことは、近いうちに受け入れてくれるかもしれないと期待しておこうか。

「冗談だよ。では、どこならいいのかな?」

「唇以外なら」

「どこでもいいの?」

「いいよ」

 おいおい。

 ランガの言っている唇以外は、額や髪や頬や手あたりまでなのだろう。彼の性的な想像力はその程度の子供だ。

 ここで、愛之介が悪い大人の狡猾さを発揮させれば、首筋や耳などの性感帯を刺激したり、シャツをたくしあげて乳首に口づけることも可能だ。さらにエスカレートすればジーンズを引き下ろして下半身の至る所にキスすることもできるのだ。

 ちょっと想像しただけでゾクゾクするのだが、流石にそんなことをして泣かれても困る。

 もっとも自分以外の大人につけ入れられる可能性を考えると頭が痛い。それは今後の課題だ。


 愛之介はランガの両肩を掴み胸の中へと引き寄せた。そのまま彼の雪のような髪に唇を落としてから額に口づけた。ランガの腕が愛之介の背中におずおずとまわされたことを感じ、包み込むように優しく、そしてきつく抱きしめた。